かわさき記念病院 院長の福井俊哉です.当院は認知と認知症の病院です.普段、私たちがどのような症状やどのような病気の患者さんを診察しているかをさらに知っていただくために,この「認知と認知症のコラム」を企画しました.一見難しく感じる「認知・認知症」についてなるべくわかりやすく解説しようと思います.連続性のあるお話を毎月掲載していきます.少しずつ消化しながら、続けて読んでいただくと「認知と認知症」のことが包括的にご理解いただけると思います.よろしくお付き合いください.
⇒ 2016年07月:「認知」とはそもそも何でしょう?
だんだん暑くなってきました.まだまだ夏本番はこれからですのでご自愛ください. さて「認知」とは何でしょうか?例えば皆さんが新しい家電品を買ってきて,どうやって使うかについて試行錯誤しているご自分を想像してみてください.家電品を見たり、触ったり,説明書を見て,誰かに相談して使用法についての情報を集めます.次にそれらの情報をもとにいろいろな想像をして、正しい使い方を推測します.最後には正しい使い方を理解したらそれを覚えておけば,次からは簡単に使えるようになります.この一連の流れがまさしく「認知」の過程です.これをもう少し専門的に言い換えますと,「対象の知識を得るために情報を積極的に収集し,それを知覚し,推理・判断・処理を加え.結果を記憶する過程」となります.この認知過程に使う脳の働きとして,注意・実行機能・推理/判断・記憶・言語・行為・視認知/聴覚認知があります.これらの言葉の響きは難しいのですが,脳機能は皆さんが毎日使っているものですのでわかりやすいと思います. 「注意」とは,自分の意識や関心をある対象に集中させることです. 「実行機能」は「遂行機能」と同じ意味ですが,目的を決めて計画し,それを効率よく実行する機能を言います.推理/判断は手元にある情報からさらに思考を進めて結論を探り当てることです. 「記憶」とは,覚えること(記銘),それを取っておくこと(保持),必要に応じて思い出すこと(想起)の三要素で成り立っています.言われてみれば,そうだな,と思われるでしょう. 「言語」とは,考えや感情を伝える道具であり,人間だけが持つものとされています. 「行為」は,行う,という意味ですが,ここでは目的を達成するために型にはまった動きの記憶と、解釈してください.例えば,「鍵を開ける」ためには,親指と人さし指で鍵を挟んだ手全体を捩じるように回しませんか?これが脳に記憶された行為パターンです. 視認知/聴覚認知は,認知という言葉を使っており混乱しやすいのですが,これは見たもの/聞いたものがなんであるか認識することです.例えば「ワン」と吠える四足動物を見ると「犬」とわかりますね.これが視認知/聴覚認知です.皆様、いかがでしたでしょうか?参考になりましたでしょうか? 来月は「軽度認知障害や認知症とはどういう意味ですか?」についてお話します.
⇒ 2016年08月:軽度認知障害と認知症とは?
真夏ですね、熱中症にならないようにご自愛ください。今月は「軽度認知障害」と「認知症」について解説します。 まずは「認知症」の定義です。7月のコラムでお話しした認知機能のうち、認知症では複数の機能が障害されています。認知機能の障害が一つだけの場合は認知症とはいいません。その認知機能の障害が原因となって、精神,感情,行動に異常が生じてくることがあります。これを認知症の「行動・心理症状」といいます(10月のコラムで説明予定)。認知自体の障害と行動・心理症状がそれぞれ単独、または合併することにより、日常生活や業務に支障が出てくる状態を「認知症」と呼びます。このように「認知症」は症状の名前であり病気の名前ではありません。認知症をきたす病気については来年のコラムでお話しします。 一方、生活や仕事の支障になるほどの程度ではないけれども、明らかに認知低下の症状がある場合を「軽度認知障害」と呼びます。軽度認知障害の約半分は認知症に進展しますが、残り半分は進行しないか正常に復帰することが知られています。いずれも認知症や進行性の軽度認知障害は老化現象の結果ではなく、「脳の病気」と捉えます。 それでは「老化」と「認知症」はどこが違うのでしょうか?つい最近まで、もしかするとこの時代でも「物忘れは年のせい」だと片付けられてしまうことも少なくありません。確かに年齢とは関係なく誰でも物忘れをしたり物事を仕損じたりします。残念ながら年を取るとその頻度も増えます。それでもそれらの「物忘れ」や「仕損じ」があっても普通に生活することには支障ありません。この程度の「物忘れ」「仕損じ」であれば生理的な(加齢に基づく)脳機能の低下と解釈していいでしょう。しかしながらすでに述べたように、物忘れや仕損じのために日常生活や業務上に困ったことが出てくるような場合は老化の結果ではなく、脳の病気である認知症と考えたほうが無難です。 来月は認知症の「中核症状」とは?についてお話します。
⇒ 2016年09月:認知症の「中核症状」とは?
「中核症状」とは,原因疾患を問わず認知症ならば必ず伴っている症状をいいます.具体的には,7月にお話しした「認知」機能の障害そのものです.おさらいをしましょう.「認知」には注意・実行機能・推理/判断・記憶・言語・行為・視認知/聴覚認知が含まれます.これらの認知機能が2つ以上障害され,さらにその程度が日常生活や職業に支障になる場合に認知症と診断されます. 認知機能の障害が1つに留まる場合,例えば,記憶のみの障害は健忘,言語のみの障害は失語と呼ばれ認知症とは区別されます.しかし,健忘にしても失語にしても,経過とともにそのほかの認知機能の障害を伴って結果として認知症に発展することがありますので経過観察の重要性が強調されます.また,2つ以上の認知機能の障害と言ってもすべてが同程度に障害されているのではなく,障害の程度には認知機能間で差があります.したがって,同じく認知症という診断名がつく場合でも,記憶障害と注意障害は強いが実行機能障害は軽いアルツハイマー病患者さん,言語障害が主体であり実行機能障害を軽度伴う前頭側頭葉変性症の患者さん,実行機能障害が主体で記憶障害は軽い血管性認知症の患者さんなど,患者さんにより,また原因となっている病気よっても認知機能障害の内容・程度は異なります.同じ「認知症」でもその内容は種々様々です.一般的な概念である「認知症 = 物忘れ」という考え方は決して誤りではないのですが,認知症のすべてにこの表現が当てはまるのではないことと認識していただければと思います。実際に日常生活の支障となり、ご家族が不便に思う症状は,決して記憶障害ではなく,注意障害,実行機能障害,言語障害,行為障害などです.その観点から,患者さんのご家族に負担となりやすい認知症疾患とさほど負担にはならない認知症疾患に分かれます. いかがでしたでしょうか?負担といえば,認知症の精神・感情・行動症状ですね.来月は認知症の「行動・心理症状」とは何ですか?についてお話します.
⇒ 2016年10月:認知症の「行動・心理症状」とは何ですか?
気温の変動が大きい傾向が続いています.体調管理には十分お気を付けください. 認知症の行動・心理症状は,認知症の中核症状(9月コラム参照)以外の症状を言います.認知症であれば中核症状は必ず存在しますが,認知症であっても行動・心理症状は必ずしも出現するわけではありません.そのような背景もあり,従来は中核症状に対して「周辺症状」と呼ばれていました.しかし,行動・心理症状が中核症状よりも大きな問題である場合も少なくありませんので,最近は「周辺症状」という呼び方はやめて,これを「認知症の行動・心理症状」と呼ぶようになりました.さらにこれを縮めてBPSDということが普通となりましたが,これは認知症の行動・心理的症状を表す英語の「Behavioral(行動の) and Psychological (心理的な)Symptoms(症状) of Dementia(認知症)」の頭文字をとったものです. BPSDは大きく,精神症状,感情症状,行動症状の3つのカテゴリーに分類されます. (1)精神症状:幻覚(実際にはないものがあると知覚する),妄想(訂正困難な判断の誤り),誤認症候群(人や場所をほかの人や場所と取り違える),せん妄(一時の意識内容の混乱)など. (2)感情症状:抑うつ(常に悲しい),アパシー(無関心・無感動),自発性低下(自らは行動しようとしない),不安,易怒性,攻撃性など. (3)行動症状:徘徊・多動(落ち着かず歩き回る・動き回る),食行動異常(食べ過ぎ,食べない,食物でないものを食べる異食),不潔行為,仮性作業(あたかも片づけているようであるが逆に散らかしている),昼夜逆転(昼寝て夜間活動する),夕暮れ症候群(夕方になると落ち着かなくなり,自宅にいても「帰る」と不穏になる). BPSDの発症を誘発したり増悪させる要因として,意外に気付かれにくい身体症状に気を付ける必要があります.例えば,痛み,かゆみ,発熱,脱水,便秘が潜んでいることがBPSDの火付け役であることがあります.この場合,強い抗精神病薬(精神病の治療薬)を使わなくてもこれらの身体症状を治療するだけでもBPSDが収まることもあります. 一方,BPSDに対して安易に行われる治療は容易にBPSDを悪化させる可能性があることに気付いてください.身体拘束(手足や胴体をベッドやいすに縛り付けること)がBPSDを悪化させることは必須です.皆さん自身が,もし訳も分からず手足・体を縛られたらどうしますか?従順に静かにしている方は少ないでしょう.多くの方は何とか自由になろうとして,必死に束縛から逃れようとして暴れ,場合によっては大きな声で助けを求めるでしょう.他人が見ればこの状態はまさしくBPSDです.かわさき記念病院では基本的には身体拘束をしませんのでご安心ください.次に,BPSDを収めるためにと「安易に」用いられている精神安定薬・睡眠導入薬・睡眠薬が実はBPSDに拍車をかけていることが多いことに注意を払いましょう.これらの薬により頭がもうろうとして判断力が低下してBPSDが悪化します.もちろん,適材適所と言いますか,専門医がちゃんと状況をわかったうえでお薬を使う「適剤適所」は必要な治療法ですが,聞きかじりの治療が一番危ないと言えます.専門医といえどもこれらの薬の使用量と使用期間は最低限度にする必要はあります. 来月は「脳を取り仕切る脳(前頭葉の働き)」についてお話します.
⇒ 2016年11月:脳を取り仕切る脳(前頭葉の働き)
これからしばらくは,脳の各部位がどのような働きをしているかについて解説します.これがどうして重要なのでしょうか?それぞれの脳の病気ではそれぞれに障害されやすい脳部位があります.その障害された脳部位により出現しやすい臨床症状が決まってきます.それがとりもなおさず,元々の脳疾患の臨床的な特徴となります.したがって,症状をよく観察することによってもともとの脳の病気を診断できるのです. 第1回目はヒトが動物の中で唯一高度に進化した動物になることができた理由,つまり前頭葉の発達について解説します.前頭葉の働きはたくさんありますが,ここでは主要な機能である実行機能,分割注意と複数課題の処理能力,思考セットの変換,思考スピード,帰納的推測,社会適応能力について解説します.難しい用語ですがご安心ください.皆さんが毎日使っている機能ですのですぐにお分かりになると思います. a. 実行(遂行)機能:実行力と同義と考えてください.目標を決め,計画を立て,その計画を無駄なく実行する能力を言います.実行機能が障害されると生活や仕事の上での「要領が悪く」なり支障が生じてきます. b. 分割注意と複数課題の処理能力:2つ以上の対象に注意を払い同時に処理できる能力です.いわゆる「ながら」ができる能力に相当し,聖徳太子はこの能力に長けていたという逸話がありますね.障害されるとキャパシティーが狭くなるので,ミスが増え効率が低下します. c. 思考セットの変換:考え方を柔軟に適切に変える能力です.この能力が障害されると「がんこ」「頭が硬い」と言われ,これも業務や日常生活の中で困った問題を生じます. d. 思考スピード:頭の回転の速さ.障害されると思い出すのに時間がかかる「ど忘れ」が生じたり,他人の話のペースについていけずに理解力が低下します.当然,業務能力は低下します. e. 帰納的推測:これは特に難しい名前ですが,元をただせば推計学の用語です.「帰納的推測」とは個々の情報から総合的一般論を見出す能力をいいます.たとえば,皆さんがのどの痛み,咳,だるさ,熱っぽさを感じたとしましょう.皆さんはこれらの「個々の情報」から風邪かな?という「総合的一般論」を推測します.この一連の流れが「帰納的推測」です. f. 社会適応能力:自分のあり方(立ち位置・個性・プライドなど)を失うことなく,周囲の社会と摩擦を生じないで振舞うことを可能にする能力をいいます.私たちがこの世の中でうまく生きていくために必要な「処世術」です.この能力には前頭葉内側面と側頭葉前部が関わります.後日お話しする前頭側頭型認知症では前頭葉内側面と側頭葉前部が障害されるため,社会的適応能力が低下して社会倫理的に問題となる言動を生じる可能性があります. このように,前頭葉は日常生活,業務,社会生活に欠かせない機能を提供するだけではなく,これらの機能を介して脳全体の働きを取り仕切っている非常に重要な脳の部位です.来月は「覚える・思い出す脳(側頭葉の働き)その1」についてお話します.
⇒ 2016年12月:覚える・思い出す脳(側頭葉の働き)その1
またまた東日本大震災の大きな余震があったり,54年ぶりに11月中に雪が降ったりとなかなか落ち着かない今日この頃ですが,今年もとうとう師走になりました.今年最後の月は「記憶」の話で締めくくりたいと思います.が,若干ボリュームが大きくなりましたので,12月はその1,来年1月にその2をお届けします. おそらく,記憶が悪くなることから認知症を心配することが一番多いのではないでしょうか?確かにその通りです.しかし,2016年9月のコラム:認知症の「中核症状」とは? でもお話ししたとおり,記憶障害が目立たない認知症もありますのでご注意のほどを! ちなみに「ものわすれ」は医学用語では「健忘」と言います. 記憶は,その持続時間と内容によって分類(整理)されます. (1)持続時間による記憶の分類 記憶の持続時間が数分~数年(2年以内)のものを「近時記憶」,それ以上のものを遠隔記憶と言います.例えば,昨日食べたものの内容,先月の行事,2年前の夏休みに行った場所,などの記憶は近似記憶です.一方,5年前の家族旅行,20年前の自分の結婚式,小学校の担任の先生の名前の記憶は遠隔記憶です.これらとは別に,数秒~数分しか持続しない記憶を「作業記憶」といいます.例えば,電話番号を人から聞いて一時は覚えていますが,電話をかけ終わるともう覚えていないような記憶をいます.作業記憶は本来の記憶ではなく,注意力の範疇に入るとされています. (2)内容による記憶の分類 記憶の内容で分類する場合,まず,言葉で表現できるか否かで分けます.言葉で表現できる記憶を「陳述記憶または 顕在記憶」と呼びます.一方,言葉で表せない記憶って何だろうと思われる方も少なくないでしょう.この記憶を「非陳述記憶 または 潜在記憶」といいます.詳しい解説は来月のコラムに回したいと思います.来月は「覚える・思い出す脳(側頭葉の働き)その2」についてお話します.
⇒ 2017年01月:覚える・思い出す脳(側頭葉の働き)その2
あけましておめでとうございます.年末年始はいかがお過ごしだったでしょうか.今年もよろしくお付き合いください. 昨年12月のコラムで記憶の解説を始めましたが,すべてを終えることができませんでした.そこで,1月のコラムでは後半のお話をお届けしたいと思います.復習です.12月のコラムでは,記憶はその持続時間と内容によって分類されることをお話ししました.さらに,記憶の内容から,言葉で表現できる「陳述記憶または顕在記憶」,言葉では言い表すことができない「非陳述記憶または潜在記憶」に分類されるというところまでお話ししたかと思います.今月はそれらの詳細に話を進めます. 1)陳述記憶(顕在記憶) 文字通り「陳述できる内容」の記憶ですが,この中にはさらに,a. エピソード記憶とb. 意味記憶の2種類があります. a. エピソード記憶は私たちが普通に「記憶」といっている記憶に相当します.つまり,「いつ・だれが・どこで・何を・どうした」に関する記憶です.例えば,「いつ」先週の土曜日に,「誰が」私と友人が,「どこで」あざみ野駅の近くの居酒屋で,「なにをどうした」新年会と称して飲みに行った,という記憶です.もちろん,先週の土曜日は皆さんは個々に様々なことをされたと思います.あざみ野で新年会をやっていた方々ばかりではないはずです.このように,エピソード記憶は個人により,時間により,さらには状況により内容が異なることが特徴です.エピソード記憶には,脳の側頭葉の内側部にある「海馬体・海馬傍回」が関与しています.したがって,この部位が好んで障害されやすいアルツハイマー病ではエピソード記憶の障害が目立ちます. b. 意味記憶とは,文字通り物事の意味に関する記憶で,「物事の定義や概念・辞書的意味・歴史事実」などを言います.例えば,月は地球の衛星(定義・概念),「腹黒い」とは「陰険で意地が悪く悪だくみをもっている」(辞書的意味),源頼朝が鎌倉幕府を開いた(歴史的事実)などです.意味記憶は万人に共通であり,時や場所で変化することはない点でエピソード記憶と異なります. 意味記憶は側頭葉皮質(先端~外側面)に保存されています.側頭葉が特異的に障害される前頭側頭葉変性症は意味記憶障害を主症状としますので,「意味性認知症」と呼ばれます.2)非陳述記憶(潜在記憶) 「陳述できない」,つまり言葉では言い表せない記憶です.非陳述記憶も,a. 手続き記憶,b. プライミング(priming)の2種類に分類されます. a. 手続き記憶とは,「体が覚えているやり方の記憶」です.自転車に乗る,泳ぐ,リンゴの皮をむく,編み物をする,などの「技能」に相当します. 一方,b. プライミングとは「無意識な見覚えの記憶」をいいます.一見わかりにくいのですが,テレビのコマーシャルで見たような気もする(見覚えの記憶)商品を,店頭で急に思い出して買った場合,この購入にはプライミングが影響したと解釈します. 非陳述記憶には,側頭葉の海馬・海馬傍回ではなく,基底核・小脳という部位が関与します.認知症をきたす疾患(アルツハイマー病など)でも基底核・小脳は障害されませんので,認知症でも非陳述記憶は残ります.この機能を利用して認知リハビリテーションを行います. 来月は「迷子にならない脳・バイバイする脳(頭頂葉の働き)」についてお話します.
⇒ 2017年02月:迷子にならない脳・バイバイする脳(頭頂葉の働き)
寒い日が続きます.インフルエンザ,ノロウイルス胃腸炎が猛威を振るっています.手洗い,うがい,マスク着用を励行しましょう.ドアの取っ手・つり革なども要注意です. さて,今月は頭頂葉のお話をします.頭頂葉とは脳の上後部(耳の上~やや後ろ)に位置しています.頭頂葉はいろいろな情報が流れ込んで統合的に処理される場所であることから「頭頂葉連合野」といわれます.各海域から種々様々な魚が集まりそこから各店舗に買われていく「築地」のような場所です.頭頂葉が行っている様々な機能のうち,認知症に関連の深い「視空間認知」と「行為」について説明します. まず,「視空間認知」とは自分と自分を取り巻く空間との関係を正しく知覚して判断する能力です.特に右側の頭頂葉が関与します.私たちはこの「視空間認知」を駆使することにより,公共トイレに行って家族が待っている場所に戻ってくる,目的地に迷わず行く,バックで車庫に駐車する,鍵穴に鍵をさす,相手に向かってボールを投げる,飛んでくるボールをキャッチするようなことを行っています.アルツハイマー病やレビー小体型認知症では頭頂葉が障害されやすいため,病初期から,迷子になる,道に迷う,車庫入れが下手になる,車をよくこする,などの症状が出やすいのです. 次は「行為」です.「行為」といってもいろいろな行為がありますが,神経心理学の領域でいう「行為」とは「ジェスチャー能力」と「物品使用能力」を指します.「視空間認知」が右の頭頂葉の仕事であったことに対して,「行為」は左の頭頂葉の仕事です. ジェスチャーとは意味を伝達するために行う手足・顔の動き(行為)です.例えば,バイバイ,敬礼,ちょうだいと手を出す,静かに!と唇に人さし指をあてる,どうぞお先にと片手を差し伸べるなどはすべてジェスチャーです.一方,歯ブラシ・くしなどの単独で使う行為や,お茶筒,急須,茶こし,湯飲み,ポットなどの複数の物品を複合的に用いる行為には,いずれにも「物品使用能力」が必要です.これらの能力が障害された状態を「失行」と言います.若干難しい用語になりますが,「ジェスチャー能力」の障害を「観念運動性失行」,「複数の物品使用能力」の障害を「観念性失行」と称します.失行=「行う能力を失うこと」と解釈すると「何もできなくなる状態」を想像しがちですが,実際には,「正しい行為に近いが間違った行為をする」ことが失行です.例えば,「バイバイ」が「招き猫のおいでおいでのような行為」になってしまう(観念運動性失行),お茶葉を直接湯飲みに入れてお湯を注ぐ(観念性失行)などの,正解に近いが異なる行為をすることを失行といいます.概ね,これらの症状は「物忘れ」と括られてしまうことが多いようですが,注意して診るとアルツハイマー病の患者さんで比較的よく観察されます. 来月は「言葉を話し理解する脳」についてお話します.
⇒ 2017年03月:言葉を話し理解する脳
寒い季節ももう少しの我慢かもしれません.今月下旬にはお花見が楽しめるでしょう. と,私が皆様に文字を用いて今の私の考えをお伝えしました.これが「言語」です. 「言語」とは,人間が音声・文字を用いて思想・感情・意思などを伝達し理解するための記号体系と定義されます.「記号体系」とは言語の音や文法などの「決まりごと」が確立されている状態を指します.「す」は「su」と発音する,「私は公園に行く」とは言っても「私を公園に行く」では意味が通じない,と「記号体系」では定められています.オオカミ,コウモリ,イルカも遠吠えや超音波で情報を伝達しているといわれますが,これらは「記号体系」を欠きますので言語とはみなされません.脳には言語野という言語に特化した機能を営む脳部位があります.まず,言語野は聞き手の反対側の脳にあると言われています.右利きならば左脳,左利きならば右脳ということですが,左利きでも左半球に言語野を持っている方も多いとされています.次に半球内の言語野の位置ですが,古典的には言葉をしゃべる機能は左前頭葉の後方・下部に,言葉を聞いて理解する機能は左側頭葉後部・上部に,単語の音を想起する機能は左側頭葉~頭頂葉に局在していると考えられています.左前頭葉の後方・下部は前頭側頭葉変性症で障害されやすく,この場合,言いたい言葉を音声として出せないという症状になります.左側頭葉後部・上部は脳梗塞で障害されることが多く,この場合は他人の話を理解できないだけではなく,自分の話している言葉や文法が正しいかどうかのチェックもできないために,言葉ではない音(非語)を多く発することになります.非語が続いて聞いている人が理解できないような発話を「ジャーゴン」と呼びます.一方,左側頭葉~頭頂葉はアルツハイマー病で障害されやすく,この場合,単語を思い出せない,繰り返して言うことができないなどの症状が出現します.以上のように,言語野の障害による言語症状を「失語」といいます.口やのどの筋肉の動きが悪く滑舌が低下する「構音障害(いわゆるろれつが回らない)」とは区別されます. 来月は「見聞きしたことが「わかる」脳」についてお話します.
⇒ 2017年04月:見聞きしたことが「わかる」脳
早いもので新年度を迎えました.今年の桜は長持ちしそうとのこと,なんとなくうれしいですね. 今回は,私たちが何かを見たとき,聞いたとき,触ったときにそれが何であるかがどうして瞬時にわかるのかについて解説します. 「ものが何であるかがわかる」ためには,そのもの(物体)の視覚情報,聴覚情報.触覚情報が正しく脳に到達すること,そしてその情報が脳の中に蓄えられている「概念・知識」に正しく結びつくことが必要です.まず,第1段階,つまり情報が脳に正しく到達するためには視力・聴力・触覚が保たれている必要があります.この段階の障害(失明・高度難聴・感覚脱出)は認知の障害ではありませんので省きます.次に,視覚情報,聴覚情報.触覚情報がまず到達する脳部位は,それぞれ後頭葉視覚野,側頭葉聴覚野,頭頂葉感覚野です.それらの部位の障害では,視力・聴力・触覚が悪くないのに,見えない,聞こえない,感じないという症状が出現します.それでは,それらの脳部位と,物の概念・知識(意味記憶:2017年1月コラム参照)が蓄えられている側頭葉先端~外側面との連絡がうまくいかない場合はどうでしょう?この場合には,見えてはいるが,聞こえてはいるが,感じてはいるがそれが何であるかがわからない,という症状が出ます.これら全体をまとめて「失認」と呼びます.見えてはいるが何であるかがわからない症状を「視覚失認」,聞こえてはいるが何であるかがわからない症状を「聴覚失認」,感じてはいるが何であるかがわからない症状を「触覚失認」といいます.視覚失認と聴覚失認はアルツハイマー病でよく見られますが,視覚失認は物忘れ,聴覚失認は難聴とよく間違えられます.頭頂葉感覚野は認知症疾患では侵されにくいため,認知症では触覚失認はほとんど見られません. 来月は4大認知症と言われる,アルツハイマー病,レビー小体型認知症,前頭側頭葉変性症,血管性認知症についてお話しします.
⇒ 2017年05月:4大認知症とは?(その1)
5月と6月は4大認知症と言われる,アルツハイマー病,レビー小体型認知症,前頭側頭葉変性症,血管性認知症について解説します.まず,アルツハイマー病,レビー小体型認知症,前頭側頭葉変性症と血管性認知症ではその原因が異なります.最初の3疾患は脳の中に異常なタンパクが蓄積して神経細胞が死滅していくことから「変性性疾患」と呼ばれます.脳の質が変化していくという意味です.血管性認知症は各種の脳血管障害(主なものは脳全体に広がった小さな脳梗塞)により引き起こされます.いわば脳に無数の傷がついた状態です.
それぞれの疾患の臨床的特徴
疾患により大まかな特徴があります.注意していただきたい点は,書物やネットに書いてある症状のすべてが1人の患者さんに現れるのでもなく,また,疾患により寿命が決まっているのでもありません.身体的合併症(高血圧・糖尿病など)の有無と治療の良し悪し,認知症に対する治療の有無と生活環境,身体的・知的活動の多寡,生活習慣などにより症状や寿命は大きく変わってきます.
(1)アルツハイマー病
歴史:1907年にドイツのAlois Alzheimer博士が,死亡時56歳の認知症女性患者の臨床・病理像を報告.従来の血管性認知症や梅毒性認知症(進行麻痺)とは異なることを強調.1912年にアルツハイマーの師匠であるEmil Kreapelin(クレペリン)がアルツハイマー病と命名.
病理的特徴:神経細胞内神経原線維変化(タウタンパク),細胞外の老人斑(アミロイドタンパク)の蓄積,神経細胞とシナプス(神経細胞同士の連絡網)の減少
障害されやすい脳部位:海馬・海馬傍回(側頭葉内側),側頭頭頂葉
臨床的特徴:進行性のエピソード記憶(ごく普通にいう記憶)障害,視空間認知障害,ついで実行機能障害.初期から妄想(特にもの盗られ妄想・嫉妬妄想)が見られることもある.
身体症状:末期に至るまで身体症状を伴わない
(2)レビー小体型認知症
歴史:1912年にアルツハイマーの研究所にいたFritz Heinrich Lewyが,パーキンソン病患者の脳細胞の中に異常タンパクを発見,1919年にパリ大学のKonstantin Trétiakoffがこの物質を「レビー小体」と命名.1976年に日本の小阪憲司先生が現在のレビー小体型認知症の初報告を行った.
病理的特徴:神経細胞内のレビー小体(αシヌクレインタンパク),細胞外の老人斑(アミロイドタンパク)の蓄積(この部分はアルツハイマー病と共通)
障害されやすい脳部位:頭頂後頭葉,側頭葉,前頭頭頂葉.嗅神経(嗅覚障害).
臨床的特徴:
1)進行性認知障害:記憶障害は比較的軽く,注意・実行機能障害が目立つ
2)精神症状:幻覚,妄想,誤認症候群が多いがない場合もある
3)パーキンソン症候群:歩行障害,易転倒性,筋強剛(体が硬い),振戦(ふるえ)などが早期から見られるが,まったく目立たない症例もある
4)自律神経障害:血圧の大きな変動,失神,早期からの尿失禁,発汗過多など.
5)症状変動:上記4症状の程度が時間的経過の中で大きく変動する.
6)発症前からの嗅覚障害,夜中の大声(レム睡眠行動異常症)が出ている場合がある.
身体症状:典型的にはパーキンソン症候群を呈するが,目立たない場合もある.その際でも早期から手首固化徴候(片手を動かしている時だけ,反対の手関節の筋強剛が明らかになる現象)が見られることが多い.
来月は「4大認知症とは?」の続きをお話しします.
⇒ 2017年06月:4大認知症とは?(その2)
今月も先月に続き,4大認知症の後半のお話をします.具体的には前頭側頭葉変性症と血管性認知症について説明します.
(3)前頭側頭葉変性症
歴史:1892年にチェコ大学のArnold Pickが,進行性の言語障害と行動・感情障害を呈した71歳男性例の臨床・肉眼的脳病理所見を報告.1911年にアルツハイマーが同症状を呈した患者脳の神経細胞内に異常タンパクの沈着を認め,これを「Pick球」と命名.1926年には,当時日本からドイツに留学中の大成 潔が同僚のHugo Spatzとともに臨床・病理像をまとめ,この疾患を「Pick病」と命名.その後,このPick球を伴うPick病を含め,共通項として前頭葉と側頭葉に病変が限局する疾患群を1996年にイギリスマンチェスターとスエーデンルンドの研究者が「前頭葉側頭葉変性症」としてまとめた.
病理的特徴:多様であるが,主に,神経細胞内にリン酸化タウタンパク,またはTDP-43タンパク,またはFUSタンパクのような異常タンパクが脳内に蓄積(ここでは詳細は省略).
障害されやすい脳部位:前頭葉と側頭葉の前方部
臨床的特徴:
1)行動異常型(前頭側頭型認知症):社会脳の障害による社会的不適合言動,他人を思いやることのない「わが道を行く症候群」.主に両側前頭葉障害.
2)非流暢性失語型(進行性非流暢性失語):発話に必要な音をつくことの困難に基づく話すことの障害,のちに行動感情障害を伴う.主に左前頭葉の言語野障害.
3)意味記憶障害型(意味性認知症): 意味記憶障害による聴理解障害と呼称障害(聞いたことを理解することと,物の名前を言うことの障害))
身体症状:初期には身体症状はないが,アルツハイマー病よりは早い段階でパーキンソン症候群が出現しやすい.
(4)血管性認知症
歴史:1883年に上述したドイツのEmil Kraepelinが「動脈硬化性認知症」という概念を発表.その後1890年代に,同じくドイツのOto BinswangerとAlois Alzheimerが若年性認知症に多い梅毒性認知症(進行麻痺)から血管性認知症を分離した.
病理的特徴:定義通り血管性病変が脳機能を低下させて認知症を生じる.脳血管・脳循環自律能障害による脳虚血が基本的な病態である.1970年代以降強調されていた大梗塞よりも,10mm以下のラクナ梗塞(小さな脳梗塞)や広範白質病変(慢性の虚血病変)が原因として多い.これらの深部白質病変が辺縁系や前頭葉とほかの脳部位との連絡を障害する.ただし実際には,単独の血管性認知症は少なく,多くはアルツハイマー病を合併している.
障害されやすい脳部位:脳の深部白質や基底核.機能的には前頭葉機能が障害される.
臨床的特徴:主に前頭葉機能障害による,実行機能障害,アパシー(無関心・無感情),試行緩慢(思考スピードの低下),思考の硬直化(思考セットの変換障害)などを主徴とする
⇒ 2017年07月:「認知」を守るためにできること
このコラムを始めてからちょうど丸1年が過ぎました.
最終回のトピックは,病気であろうとなかろうと,自分自身の認知を守るために私たちが毎日できることを紹介したいと思います.
認知症に対する根治療法の開発が待たれる中,認知症の早期治療を行うことは重要ですが,それ以前の問題として認知症を予防することが重要であることは明らかであります.変性性認知症疾患は加齢,遺伝的因子(アポリポタンパク遺伝子ε4)と運命により生じる疾患であり,防ぎえない側面があることは否めません.しかし,例えばアルツハイマー病が脳の中の病理学的変化として発症してから認知症の症状が出現するまで15~20年を要するとされています.アルツハイマー病の発症には,症状が発現するまでの時期における高血圧,糖尿病,脂質異常症などの成人病,運動不足,不適切な飲酒,喫煙,脳血管障害も疾患の進行を推し進めて,症状が発現する(臨床的に発症する)時期を促進することが知られています.従って,これらの成人病をしっかり治療し,不健康な生活習慣を改めることが認知症の発症や増悪を抑えることは十分推測されます.
認知機能の低下予防を主題とした多くの論文の結論をまとめてみました.
1)成人病治療:認知症とはまだ無縁の若いころ~中年期の高血圧と糖尿病自体がアルツハイマー病を作り出す危険因子であるため,これらの成人病を早期から十分に治療することが重要です.
2)運動:有酸素運動は実行機能を改善させ認知低下予防に有効とされています.基本的には早歩き(6分で400m以上)を一日20~30分,週に最低5回は行うように勧められています.そのほか,軽いジョギング,ゆっくりとした水泳,持続的な自転車こぎなどもよいと思います.けがには気を付けてください.
3)食事:野菜,ナッツ,乾燥果実,魚が多く,肉・酪農品のように飽和脂肪酸を多く含む食品をあまり摂らない「地中海型ダイエット」は軽度認知障害とアルツハイマー病の発症率低下に有効とされています.しかし,地中海型ダイエットの食材を毎日食べることもなかなか困難です.本邦で行われた研究では,豆類,豆腐,野菜,海藻,牛乳,チーズを適切に組み合わせて頻度多く摂取すると認知症発症が少ないことが報告されています.
4)飲酒:絶対禁酒が良いのではなく,少量~中等量の飲酒量(アルコール10~40g/日)が軽度認知障害や認知症の予防効果があるされています.しかし,過度の飲酒(アルコール60g以上/日)は反対に認知症を増加させ,前頭葉の萎縮を促進させますので要注意です.
5)喫煙:タバコの煙には5,000以上の有害物質が含まれており,脳の血液循環と脳細胞の防御の観点からも喫煙は絶対にするべきではありません.
6)薬:複合サプリメントが認知機能改善に有効であると報告されていますので服用しても悪くはありません.もちろん,上に述べた生活習慣の改善も必要です.
それ以上に注意すべき点は,脳機能を明らかに悪化させる薬剤を中止することです.その代表は,多くの人々(かかりつけ医を含めて)認知には安全であると信じている,睡眠導入薬,精神安定薬,風邪薬に入っている眠くなる成分(抗ヒスタミン剤),胃薬の一部のもの(H2ブロッカー,スルピリド)などが含まれます.詳細はぜひ相談していただければと思います.
早速今日からでも始めていただければ幸いです.
今回で「認知と認知症の話」はいったん終了とします.来月からは新企画を開始したいと思います.