かわさき記念病院 院長の福井俊哉です. 2016年7月から2017年7月まで「認知と認知症のコラム」を掲載してきました. さて,2017年8月からの予定ですが,「認知症と神経疾患の話題」とタイトルを変えて様々な話題を随時解説していきたいと思います. 今までは「教科書的」でしたのでこれからは若干「応用問題的」にしていこうかと考えています.毎月どのような内容が登場するかについては毎回のお楽しみとしてください. |
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⇒ 2023年 3月 Disease modifying therapy(疾患修飾薬)Lecanemabの紹介
N Engl J Med 2023;388:9-21
「2023年1月6日米国食品医薬品局(FDA)はlecanemabをアルツハイマー病の治療薬として迅速承認」
基本知識 : アルツハイマー病の病的変化は可溶性・非可溶性βアミロイドの沈着から始まる.
Lecanemab : IgGモノクローナル抗体であり可溶性プロトフィブリルが標的(アミロイドモノマーが重合・凝集して形成される線維をフィブリルと称するが,その前段階である物質の総称がプロトフィブリル)
治験(CLARITY AD trial): 18か月,多施設共同二重盲検法,第3相試験
対象 : 50~90歳,MCI~軽度アルツハイマー型認知症の患者であり,PETまたは脳脊髄液で脳内にアミロイド沈着が証明できる者
治療 : Lecanemab 10mg/kgまたはプラセボ i.v.(1:1),2週間ごと18か月
一次評価項目 : Clinical Dementia Rating–Sum of Boxes (CDR-SB;CDR各項目の合計点.点数が高いほど認知は低い).の治療前後における変化.
二次評価項目 : PET上のアミロイド量,CDR以外の認知・ADL評価スケール
結果 : 参加者1795名中,lecanemab群 898名,プラセボ群 897名.治療前CDR-SB平均は両群ともに3.2.
治療期間18か月間のCDR-SB平均変化量はlecanemab群で1.21,
プラセボ群で1.66(lecanemab群で有意に悪化が軽度;P<0.001).
698名におけるPET所見の検討ではlecanemab群でアミロイド減少がより大であった.
他の認知・ADL評価スケールもプラセボ群に比してlecanemab群で有意に改善した.
副作用: Lecanemab群におけるインフュージョンリアクションは26.4%,画像上のアミロイド関連画像異常(ARIA:脳浮腫,脳出血)は12.6%であった
結論 : Lecanemabは早期アルツハイマー病の脳内アミロイド量を減少させ,認知・ADL低下を抑制するが,副作用を呈する可能性がある.
⇒ 2023年 2月 血管性認知症の歴史
血管病変が認知症を呈することを初期に提唱したのはEmil Kraepelinであり,
1883年に動脈硬化性認知症(arteriosclerotic dementia)を記載した.
翌年,Otto Binswanger(1894)は脳梅毒以外の原因による認知症として,
現在Binswanger病として知られる病態を
encephalitis subcorticalis chronica progressivaとして提唱した.
血管性認知症の概念が飛躍的に進歩したのは1970年以降である.
Tomlinsonら(1970)は脳損傷の体積が50-100ml以上になると
認知症が生じやすいことを示し,その考えの延長上でHachinskiら(1975)は
比較的大きな皮質梗塞により生じる認知症をmulti-infarct dementia(MID)
と命名した.MIDはその当時の血管性認知症概念のスタンダードとなった.
最近はむしろsmall vessel diseaseによる認知症とその前段階である
血管性軽度認知障害が注目されている.
現在の問題点は,
その病態を意味する名称(Vascular Cognitive Impairment [O'Brien, 2003],
Subcortical Vascular Dementia [Erkinjuntti, 2000],
Vascular Cognitive Impairment No Dementia [Rockwood, 2000],
Vascular Cognitive Disorder [Roman, 2004]など)が数多くあることであり,
名称と概念の統一作業が進められた
(Vascular Impairment of Cognition Classification Consensus Study: VICCCS; www.vicccs.info/) .
結局,脳血管障害が原因で生じる軽度の認知低下を” vascular cognitive impairment”,
高度なものを”vascular dementia”と称することに落ち着いた.
⇒ 2023年 1月 「ピック病(PiD)」に関する混乱の軌跡
その後,日本とヨーロッパではピック病(PiD)は行動人格障害を主徴とする
認知症疾患の概念として温存されていたが,進行性失語を呈する側面は半ば
忘れられていた.北米ではPiDはADの鑑別診断が困難であるとの既成概念が
形成され,さらにはPiDの存在すら疑問視された時期が1980年代まで続いた.
PiDの概念に関する混乱が生じた一因に,PiDでもPick球を有さない症例が
あることがConstantinidisら(1974)により報告されたことである.
彼らはPiDを以下の3群に分類した:A群はPick球・細胞の両者を有し側頭葉に
萎縮中心があるもの,B群はPick細胞を有するがPick球を欠き萎縮中心が
前頭頭頂葉にあるもの,C群はPick球・細胞をともに欠くもの,である.
この報告後,「PiD」の解釈が2つに分かれた.狭義の解釈は「前頭側頭葉の
葉性萎縮とPick球を有する」であり,広義の解釈は「Pick球の存在は問わず
葉性萎縮を呈するものすべて」とするものである.さらに,「PiD」を
人格行動障害・進行性失語を呈する臨床的概念として用いる場合,Pick球と
葉性萎縮のどちらかまたは両者を有するという病理学的概念として用いる場合,
または臨床的概念と病理学的概念の両者として用いる場合が生じ,研究者間により
「PiD」の意味するところが異なる結果を招いた.この混乱を収集させるために
生じてきた考え方が,来月解説するFrontotemporal dementia(前頭側頭型認知症)である.
⇒ 2022年12月「ピック病」という病名の誕生
Arnold Pickは「老人性脳萎縮と失語の関連について」の中で左側頭葉の限局性萎縮と失語症の関係を強調したが組織像には言及しなかったためあまり注目されなかった(1892年).
その後1911年にAlois Alzheimer(Z Ges Neurol Psychiatr 1911;4:356-385)はPickが提唱した「限局性脳萎縮」のAlzheimer自験2例が老人斑と神経原線維変化を欠き,
嗜銀性神経細胞内封入体(今いうPick球)がみられると初めて記載した.その後は1922年にオランダのA Gansが「Pick萎縮症」との名称を用い(Z Ges Neurol Psychiatr 1922;80:10–28),
1926年にはミュンヘンのドイツ精神医学研究所に留学中であった大成 潔とHugo Spatzがその解剖病理学的所見を総括した上で,この疾患を「ピック病」(Picksche Krankheit)と命名した.
肉眼的に明らかな前頭側頭葉の限局性脳萎縮,萎縮部位の神経細胞脱落と皮質海綿状態,老人斑と神経原線維変化の欠如を病理学的な特徴として挙げている
(Z Ges Neurol Psychiatr 1926;101:470–511).さらに1927年にはC Schneiderも「Picksche Krankheit」の用語を用いている(Monatschr Psychiatr Neurol 1927;65:230–275).
このようにピック病という名称はPick自身ではなくその後の研究者が長年かけて作り出した病名である事がわかる.
⇒ 2022年11月 Pick病(PiD)2~4例目の報告
1896年の第2例目67歳女性は,超皮質性感覚性失語,味覚障害,幼稚性,感情障害を呈し,左側頭葉の限局性萎縮を有した(Pick A. 1896).
1898年の第3例目61歳女性は超皮質性感覚性失語と前頭葉の高度萎縮を呈した(Pick A. 1898).
1901年の第4例目は59歳,女性であるが,記憶・判断力低下,無為・無関心,異常行動とともに聴理解障害,錯語,反響言語を呈し, 左弁蓋部・角回・側頭葉の高度萎縮を呈していた(Pick A. 1901).
このように限局性脳萎縮を認めることがPick病の特徴である.
⇒ 2022年10月 Pick病(PiD)の第1例目「老人性脳萎縮と失語の関連について」(Pick A. Prager Med Wochenschr 1892;17:165–167.)
症例は71歳の男性.1889年11月に失神発作を生じてから言いたいことを
明確に言うことができなくなった.1890年4月に発熱した際,せん妄,人物誤認,
言語障害を呈し,1891年11月には,妻を「ぶっ殺す」と威嚇する一方で
スプーンを弄ぶなどの行動異常が出現したため,11月11日に入院した.
入院時のPickの観察によると,患者はおとなしく仰臥位を取っており,
膝蓋腱反射亢進,足クローヌスに加えて失語性の言語理解障害を呈した.
簡単な一般事項は理解可能であるが複雑な内容の理解は困難であった.
発話量は多く理解不可能な単語と音韻性錯語(例:locomotive → colmolotive)
が頻回にみられた.復唱は可能であり,高度な錯読,錯書および保続が認められた.
この症例の解釈として,言語症状はWernicke-Lichtheimによる超皮質性感覚失語に
該当するが,これは老人性認知低下による健忘のためではなく,
左半球優位性脳萎縮または左第1側頭回限局性脳梗塞に起因する可能性を示唆した.
患者は同年11月27日に呼吸状態悪化し死亡.
肉眼的剖検所見として脳重が1,150gm(右 500, 左 470)と減少し,
特に左側頭葉の萎縮が高度であった.
Pick自身は病理所見を確認しておらず後世のAlzheimerの報告を待つこととなる.
⇒ 2022年9月 Pick病の主唱者Arnold Pick(1851~1924)の人生
Arnold Pick は1851年に現在のチェコ共和国東部の
モラビアにてオーストリア人の親の元に生まれた.
ウイーン大学で医学を学び,
学生時代に精神神経内科の長Theodor H. Meynert (1833-1892)の
助手を務めた経歴を有する.1875年にウイーン大学医学部を卒業して
博士号を取得した.引き続き,ベルリン大学Alexander Karl Otto Westphalの
助手となったが,その際にKarl Wernicke (1848-1905)と一緒であったことが
その後のPickの失語論に影響を与えたと言われる.1878年にプラハ大学精神神経科の
教官になり,1886年にはプラハ大学内のGerman大学精神神経学の教授に就任した.
実はArnold Pickは神経内科医・神経病理医であり,
彼の研究対象は脊髄中心管の顕微鏡的所見からヒステリー症状に及んだが,
主な研究領域は失語・失行・失認・記憶などの行動神経学であった.
イギリスのHughlings Jacksonをはじめとする多くの先達と親密な交友関係があり,
この人脈が英語圏におけるPickの知名度が上がることに貢献した.
Pickは生涯読書と音楽の愛好家であったが,
晩年に白内障・網膜剥離で片眼を失明後に摘出手術を受け,
膀胱結石術後の敗血症にて73歳で逝去した.
来月はPick病の第1例目の紹介です.
⇒ 2022年8月 「レビー小体病」が世に知られるまで
先月は「レビー小体病」の初報告について解説しました,
その後,この疾患が新しい病態として一般的に認知されるまで
さらに四半世紀以上を要することになった.その後,KosakaらはLBsの分布により
“Lewy body disease”を3型に分類した.
びまん性(diffuse type)は大脳皮質・脳幹に広くLBsが分布しているタイプであり,
“diffuse Lewy body disease”(びまん性レビー小体病)と称された.
一方,脳幹型(brainstem-type)は特発性パーキンソン病そのものである (小阪ら 精神神経学雑誌 1980; 82; 292-311).
Kosakaはさらにアルツハイマー病病理の合併程度により“diffuse Lewy body disease” を
通常型(common form)と純粋型(pure form)に分類した.
通常型は多数のLBsに加えて多量の老人斑/神経原線維変化を有するものであり,
純粋型はそれらの合併がほとんどないものをいう (Kosaka. J Neurol 237, 197-204).
高齢者のレビー小体病の場合はアルツハイマー病理を合併した通常型が多い
これらの知見に基づいて2005年に国際グループによるDLB診断基準が発表され,
2017年の改訂版が今日の診療に用いられている.
⇒ 2022年7月 「レビー小体病」の初報告
レビー小体の沈着を特徴とする変性性認知症疾患(レビー小体病)の概念が生まれる発端になった論文は小阪憲司先生らによる1例報告であった.
症例は慢性関節リウマチ,糖尿病,肺結核の既往歴を有する65歳の女性である.
56歳時に頸部の不随意運動と進行性もの忘れが出現し,記憶障害と不穏状態を主訴に65歳で入院した際,四肢の筋強剛,腱反射亢進とともに,
高度認知症,無為,落ち着きのなさ,拒否的態度が認められた.
臨床診断として脳血管障害と伴った老年期認知症または認知症を伴ったパーキンソン症候群が考えられた.
当症例は腸重積で突然死した後に剖検に付された.
脳重は1,130gでびまん性脳萎縮を認め,特に左側アンモン角・海馬・紡錘状回に顕著であった.
動脈硬化性変化は軽度であった.
光顕所見として,大脳皮質・海馬・視床下核・黒質などに老人斑,神経原線維変化,顆粒空胞変性,平野小体,トルピードを多数認めた.
さらに,黒質・視床下核・無名質・青斑核・迷走神経背側核には典型的なレビー小体(後の脳幹型LB)を,大脳皮質深層には辺縁が不明確で
haloを有さず淡く染色される好酸性・嗜銀性の細胞内封入体をびまん性に認め,Kosakaらはこれをレビー様小体(後の皮質型LB)と称した.
さらに,Pick球を扁桃核・海馬・側頭葉に認めた.
当時の病理診断はレビー様小体を伴ったアルツハイマー病・ピック病・パーキンソン症候群の合併,または単一の新規病態とされた.
⇒ 2022年6月 レビー小体型認知症の誕生(続)
先月の1)Friedrich Heinrich Lewy(1885~1950)の紹介に続き
「レビー小体」そのものの紹介をします.
2) レビー(Lewy小体:corps de Lewy:LB)の歴史
1817年にJames Parkinson(パーキンソン病の提唱者)が
”An Essay on the Shaking Palsy”(パーキンソン病のこと)を著し,
後にJean-Martin Charcot(フランスの有名な神経学者)が「パーキンソン病(PD)」
と命名したことはあまりにも有名である.
その約100年後の1912年,LewyがPD患者の黒質に
特異的な細胞内タンパク沈着を発見したが,
Lewy本人はその役割については言及しなかった.
PDの黒質におけるこのタンパク沈着の重要性に目を向けたのは,
当時パリ大学に在籍していたKonstantin Nikolaevich Tretiakoff(1892~1958)であった.
Tretiakoffは1892年にロシアに生まれ,
1905年の”Bloody Sunday”後,インテリゲンチャ(intelligentsia)に属する一家が
迫害される可能性を懸念してフランスに移住した.
1917年,Salpetriel病院にてPierre Marie(有名な神経学者)が主宰する
神経系疾患クリニックのチーフに就任し,
そこでルーマニアの神経内科医Georges Marinesco(有名な神経学者)
が同僚であったことが後にLewy body(LB)を発見する伏線となった.
Tretiakoffは1919年の医学博士論文の中で,
黒質色素細胞の腫脹・グルモース変性・神経原線維変化に加えて
残存神経細胞内の封入体を記載し,
第一発見者であるFritz Heinrich Lewyに敬意を払い
これを”corps de Lewy”(Lewy body: LB)と命名した.
さらに,LewyがPDの本質として線条体の機能異常を重視したのに対して,
Tretiakoffは黒質変性の重要性をより強調した.
その考えを裏付けるように,1925年,Jean Lhermitte(有名な神経学者)は
「我々は多くのPD患者を観察したが,Tretiakoffの黒質病変を有さない例はなかった」
と述べている.
その後,Lewyは1923年にLBのびまん性・皮質性分布を記載した.さらに,1932年には
LBととウイルス感染症(狂犬病)の沈着物の類似性からPDのウイルス説を仮定したが,
Lewyが生存していた間にはLBの臨床的重要性が強調されることはなかった.
1976年に Kosakaら(小阪憲司先生)が「レビー小体病」の第1症例発表し,
1997年にLBの主成分がα-synucleinと判明するまで,LB発見後半世紀以上の年月を要した.
⇒ 2022年5月 レビー小体型認知症の誕生
1)Friedrich Heinrich Lewy(1885~1950)の紹介
Fritz Heinrich Lewy(アメリカに移住後Frederic Henry Leweyに改名)は
ユダヤ人医師の子として1885年1月28日Berlinにて出生.
1904年,ベルリンのFriedrich-Wilhelms大学医学部入学し,
1905年にZurich大学夏季セミナーでConstantin von Monakowに
神経内科を勧められたことが神経疾患に傾倒する一つのきっかけであった.
1910年,「ウサギと猫の聴覚路」に関する論文にて医学博士を取得.
その後2年間は非常勤研究者としてミュンヘンのAlzheimerのもとに勤務した.
1912年にパーキンソン病脳において,後にLewy小体と命名される
細胞内封入体を発見した.
その後AlzeheimerとともにBreslau大学に移転したが,
1914年にはフランクフルトに戻りLudwig Edingerの研究室に入った.
1919年,ベルリンのCahrité医科大学第2クリニックの助手となったが,
同年,パリのKonstantin Trétiakoffがパーキンソン病(PD)における
黒質細胞内封入体を”corps de Lewy”と命名し,ここに「レビー小体」が誕生した.
Lewyは1923年にCharité医科大学内科准教授に就任した頃から
ベルリンに神経内科単科の施設を設立することを構想していた.
しかし,その考え方を好まない同大学精神科教授 Karl Bonhoefferの反対を被ったといわれる.
その当時,神経内科は精神科の一部門であったからである.
念願がかなって1932年にCharité医科大学内に”Neurological Institute in Berlin”を設立しLewyは施設長に就任した.
ところが翌1933年にはナチスの妨害により助成金が停止され,
同年の7月1日をもって施設長を解雇された.
将来を考えその直後にロンドンに移住したが定職にありつけず,
さらには1934年にドイツ教育省が教員ライセンスを剥奪した.
そのため,Quakersの援助を受けて同年ニューヨークに移住し,
University of Pennsylvania脳外科のコンサルタントとして赴任した.
1940年にアメリカに帰化した際にFrederic Henry Leweyと改名した.
1943年にはアメリカ陸軍中佐となったが,
1946年にはUniversity of Pennsylvaniaの脳外科/神経病理/神経解剖担当として復職した.
ところが, Lewy本人は“Lewy body”の重要性を知るまでもなく,
1950年10月5日,急性心筋梗塞にて急逝した. (来月に続く)
⇒ 2022年4月 Alois AlzheimerとOskar Fischerの対比
先月からの続きです.
Alzheimerは,アルツハイマー病とpresbyophrenic dementia(老年精神病性認知症)は
senile dementia(老年認知症)の亜型であり,老人斑がsenile dementiaのマーカーと考えた.
一方,Fischerは,senile dementiaはsimple senile dementia と
resbyophrenic dementiaに区分可能と考え,アルツハイマー病は
presbyophrenic dementiaの亜型であり老人斑はpresbyophrenic dementiaに
特異的な所見であると考えた.
これらの業績を踏まえると,FischerはAlzheimerと
全く同時期にAD病理の解明に貢献したにも関わらず知名度が不当に低い.
Alzheimerの場合,指導者のKraepelinが当時の有力者であり
在籍していたRoyal Psychiatric Clinicも有力な施設であったこと,
Breslau移籍後も現在のMax-Planck-Institute of Psychiatryに至るまで
Alzheimerの功績が語り継がれたことがAlzheimerの名声をゆるぎないものとした.
一方,Fischerの場合,彼が生きた時代(第1次大戦~2次大戦)と
生活の場(プラハ)が不利であったと言わざるを得ない.
また,Fischerには有力な後援者も後継者もいなかった.
後年チェコスロバキアは社会主義国となり,
彼が在籍したジャーマン大学は1945年に廃止され,
さらに1950年以降 presbyophreniaの名称が廃れたことなどが重なり,
Fischerの名が語り継がれることがなくなった.
⇒ 2022年3月 Alois Alzheimer と同時期に同じ疾患を発見していたOskar Fischer(1876~1942)の紹介
Oskar Fischerは1876年にプラハ近くのボヘニアで出生した.
Prague(プラハ)大学とStrasbourg(ストラスブール)大学で勉学して
1900年に医学博士を獲得.その後,1882年にプラハ大学はチェコ大学と
ジャーマン(German)大学の2つに分割されたが,
そのジャーマン大学に在籍して1919年まで神経病理と精神科を専門とした.
1886~1921年の間,ピック病を発見したArnold Pickが
ジャーマン大学の精神科の教授であったためPickはFischerの上司にあたる.
ところが,Fischerは1918年にジャーマン大学の終身雇用を拒否されたことから
1年間の無給生活を強いられ,1919年にプラハにて神経科開業した.
しかし,1941年にはゲシュタポに逮捕されてボヘニア北西部テレジンに幽閉され,
1942年2月28日に心臓発作にて不幸な晩年を閉じた.
アルツハイマー病に関する業績:
AlzheimerがAuguste Deterを報告した1907年にFischerは
老年期認知症16例の臨床病理学的報告を行い,
その中で初めてneuritic plaque(神経突起斑)を記載している.
その後5年間,Fischerは症例数を増やし,臨床症状と病理学的所見の
対応に関する所見を蓄積した.
1910年にはneurofibrillary tanglesに関する詳細な報告も行っている.
Alois Alzheimer とOskar Fischerの対比は来月お話しします.
⇒ 2022年2月 AD第2の症例の紹介:Johann Feigel(Alzheimer A. Alters. Z Ges Neurol Psychiatr 1911;4:356-385)
Auguste DeterはADの第1症例であることで有名であるが,
Alzheimerが発表した第2例に関しては意外に知られていない.
第2例目はAuguste Deterと「同様な症状(原文)」を呈し,
1910年10月に57歳で死亡した男性(Johann Feigel)である.
この男性は認知症の濃厚な家族歴を有し,
母,母方祖父,叔母,大叔母,曽祖父と,
自身の8人の子のうち3人が30~60歳で認知症を発症している.
Johann Feigelの臨床症状と病理所見は以下の通りである.
入院2年前に妻が他界してからJohann Feigelはおとなしく鈍い性格に変化した.
さらに入院半年前から忘れっぽく方向がわからなくなり,
単純な作業でも行うことが困難となった.また,一人では買い物が困難となり,
入浴しても身体を洗わなくなったため,
1907年11月12日ミュンヘン大学精神科病院に入院した.
入院時,理解に時間を要し,質問を復唱する傾向が認められ,
錯語・錯書を呈し,認知レベルは愚鈍と判断された.
また,euphoria(空虚な多幸)が目立ち,動作が拙劣であったという.
高血圧を認め,入院時診断として血管性認知症が考えられた.
その後,超皮質性失語,観念性失行(葉巻でマッチ箱をこする),
強迫的行動,両便失禁,全身性痙攣を呈して1910年10月3日に肺炎にて死亡した.
側頭葉・頭頂葉を中心に,皮質全層に分布する膨大な数の老人斑を認めるが,
神経原線維変化を欠く点でAuguste Deterの病理とは大きく異なった.
濃厚な家族歴を有していたが後日のDNA鑑定ではAPP遺伝子変異は認められず,
アポリポタンパク遺伝子型は ε3/ ε3であり,Lewy bodiesも認めなかった.
それでは,Johann Feigel の“Plaque-only disease”はADなのか
という疑問は当然生じる.
事実,74歳以上のAD患者の30%が神経原線維変化を欠く.
老人斑に神経原線維変化を伴う例は神経原線維変化を欠く例に比べて,
認知障害と大脳皮質萎縮が高度であり,残存ニューロンが少なく,
choline acetyltransferaseが低値であるという特徴を有する.
結論として,両者は同一疾患に属し,神経原線維変化を欠く群は
それを伴う群の前段階にあると考えられる.
⇒ 2022年1月 4大認知症の歴史:Auguste Deter(アルツハイマー病第1症例)の論文紹介)
Auguste Deter(アルツハイマー病第1症例)の論文紹介
(Alzheimer A. Uber eine eigenartige Erkrankung der Hirnrinde. Allg Z Psychial 64: 146-148, 1907.)
a) 臨床症状
Auguste Deterは1901年11月にFrankfurt Hospital入院する8か月前から,
人格変化とともに,記憶障害,家事/料理を計画的に行えない,慣れた環境で迷う,
などの認知障害,知人を怖がる,夫に対する嫉妬妄想,誰に殺されるという被害妄想,などの精神症状を呈した.
以下は入院翌日のAlzheimer自身の記載である.
A:はAlois Alzheimerの質問,D:はAuguste Deterの返答.
Alzheimer:患者は情けなさそうにベッドに座っている.
A:お名前は? D:Auguste
A:苗字は? D:Auguste
Alzheimer:質問を理解していないようである.
A:結婚していますか? D:Augusteと・・・
A:Mrs. Deterでしょう? D:はいはい,Auguste Deterです
Alzheimer:思い出そうとしている様子がみられる
A:これは何(鉛筆) D:ペンです
さいふ,かぎ,日記,葉巻は呼称可能であるが,
何を見せられたかを短時間で忘れてしまう.
昼食に肉を食べているときに何を食べているかを問うと
「じゃがいもとダイコン」と答えた.
話題の切れ間に脈絡もない双子の話をする.自分の名前を書けない.
夜になると錯語が多い逸脱した話でほとんど占められていた.
b) 病理所見(入院5年後の1906年に敗血症で死亡)
肉眼所見:脳萎縮,中等度水頭症,脳小血管の動脈硬化,両側下葉の肺炎,腎盂腎炎.
顕微鏡所見:大脳皮質浅層の神経細胞脱落,大脳皮質全層における多量の「粟粒病巣」(老人斑),Bielschowsky鍍銀染色にて大脳皮質神経細胞1/4~1/3の神経細線維内におけるtangle様の凝集塊.
結論:Auguste Deterの臨床・病理所見は既知の疾患群に分類できない.
⇒ 2021年12月:4大認知症の歴史:疾患単位としてのアルツハイマー病の誕生(2)
前回の続き)Alois Alzheimerが執筆した1論文に基づき,Kraepelinは,
自著の精神科テキスト第8版(Kraepelin, 1910)「老年期・初老期認知症」の中で
高度の神経細胞変化を有する特異な症例をAlzheimerが記載し,
これを”Alzheimer-Krankheit(アルツハイマー病)“として
既知の認知症疾患群に加えるべきである」と述べ,1疾患としてのADが誕生した.
Kraepelinは若年発症,言語障害,局所症状,高度の認知症がADの特徴として挙げた.
しかし当時,Alzheimerは若年性認知症を患ったAuguste Deterの脳に
老人班と神経原線維変化がみられるとする1論文を発表していたのみであり,
それが1疾患単位をなすという確かさ(エビデンス)は十分ではなかった.
一方,老人班と神経原線維変化に関する研究は
Alzheimerによるもの以外にも複数あり(Fischer 1907, Bonfiglio 1908, Perusini 1909, Sarteschi 1909),
そのことはKraepelinも認識していたはずである.
従って,Kraepelinがこの疾患を敢えて ”Alzheimer-Krankheit(アルツハイマー病)“ と命名した理由は定かではない.
おそらく,1907年に同様の論文を発表したOskar FischerがプラハのArnold Pick のグループに属していたため,
Kraepelinが代表するミュンヘングループの優越性を示すためやや尚早な命名に至ったのであろうと推測されている.
⇒ 2021年11月:4大認知症の歴史:疾患単位としてのアルツハイマー病の誕生(1)
1903年~1912年の間,Alois Alzheimer(1864~1915)が
ミュンヘンのRoyal Psychiatric ClinicにてEmil Kraepelinと
仕事を共にしていたことはADが独立した疾患として
世に知れ渡るに至った大きな要因である.
1906年,Auguste Deter(アルツハイマー病第1症例)の剖検脳が
Alzheimerのもとに送られ,
同年には “Über eine eigenartige Erkrankung der Hirnrinde (大脳皮質の奇異な病気について)”と題する口演発表が行われた.
その趣旨はAuguste Deterの病理像は,従来の梅毒性・血管性認知症に合致しない
新規なものであるというものである.
奇妙なことに発表後に何らの質問もディスカッションもなく,
当初は学会紀要への掲載は不適切とされた.
翌1907年にようやく2ページの論文が許可されて
後述する同名の論文が発表されるに至った(Allg Z Psychiat Psych Gerichtl Med 1907;64,146–148).
この1論文に基づき,Kraepelinは,
自著の精神科テキスト第8版(Kraepelin, 1910)「老年期・初老期認知症」の中で
「高度の神経細胞変化を有する特異な症例をAlzheimerが記載し,
これを”Alzheimer-Krankheit(アルツハイマー病)“として
既知の認知症疾患群に加えるべきである」と述べ,
1疾患としてのADが誕生した.
Kraepelinは若年発症,言語障害,局所症状,高度の認知症がADの特徴として挙げた.
⇒ 2021年10月:4大認知症の歴史:アルツハイマー病
これから数か月はアルツハイマー病(AD)の誕生について話を進めたいと思います.
Aloys (Alois) Alzheimerの人生(1864/6/14~1915/12/19)
生家はドイツMarkbreit am Mainにあり,現在は記念館として維持されている.
父親であるEduard Alzheimerは王室公証人であった.
Alois AlzheimerはBerlin大学,Tübingen大学,Würzberg大学にて医学を学んだ.
当時の医学者にみられる一般的傾向であるが,
Alzheimerも認知症のみを研究していたのではないことに驚かされる.
1887年の彼の学位論文は「耳垢腺について」であった.
1888~1903年,フランクフルトのMunicipal Mental Asylumにて
assistant medical officerとして勤務した際に
僚友のFranz Nisslから脳病理の手ほどきを受けたことが
その後にADを発見する伏線となった.
1895年にCecile Geisenheimerと結婚し1男児,2女児をもうけた.
1901年11月26日,Frankfurt Hospitalに入院したAuguste Deterと出会い,
歴史に残る診察記録を残した.1903年にKraepelinとともに
Munich大学Royal Psychiatric Clinicに移動したが,
1906年Auguste Deter没後,送付された脳を詳細に調べて
口演発表を行い,翌年論文を発表した(後述).
その後急速に人生の終焉期を迎えることになる.
1912年にUniversity of Breslau(現在のポーランドWroclaw)の
神経科・神経内科の教授として着任したが,
移動中に細菌性感染症に罹患したことがきっかけとなり
亜急性心内膜炎を併発,1915年12月19日に腎不全から
尿毒症性昏睡状態に陥り逝去した.
Auguste DeterがFrankfurt Hospitalに入院したときの年齢と同じ享年51歳であった.
⇒ 2021年09月:認知症を文学する 世界における認知症概念形成に関する系譜:
20世期:組織染色法の発達による認知症疾患の解明
19世紀後半~20世紀前半,新たに開発されたCarmine染色法を用いて,
Paul Oscar Blocq(1860–1896)とGeorges Marinesco(1863-1938)が
現在老人斑として知られるplaque状の集積物質を初めて発見したのは1892年のことである.
それに引き続き,1898年にはEmil Redlichが老人斑を”miliary sclerosis”と称し,
続いてOskar Fisherがそのmiliary sclerosisの詳細を明らかにした(1907).
また,AlzheimerとFisherがその数年前に発表されたMax Bielschowskyによる
嗜銀染色の手法(Bielschowsky 1902, 1903)を取り入れたことが,
アルツハイマー病(AD)のもう一つの病理学的特徴である
神経原線維変化の発見に大きく貢献した事には疑う余地はない.
⇒ 2021年08月:認知症を文学する 世界における認知症概念形成に関する系譜:
19世期:老年期認知症の疾患としての明確化
Phillippe Pinel(ピネル:1745-1826)は“madness”(狂気)は疾患であり
犯罪ではないことを強調し,当時非人道的な扱いを受けていた認知症患者の
待遇改善に尽力した.
認知症の疾患としての概念を具象化したのは,Pinelの教え子であり
パリ シャラントン王立精神病院に勤務していたJean-Étienne Dominique Esquirol(エスキロール:1772-1840)であろう.
1838年の彼の著書「医学,衛生学,法医学的観点から考察された精神病」の中で,
“demence”(認知症)は後天的知能障害であり,先天的知能障害である
“idiotisme”(白痴)と区別されることを明記し,認知症は大脳の疾患であり
慢性的な感受性、知性、意志の弱化を特徴とするとした.
さらにEsquirolは各種の精神疾患の分類やそれに関する用語の定義を見直し,
近代的な精神・認知症症状に関する考え方の礎を築いた.
19世紀には認知低下をもたらす原因疾患として進行麻痺(脳梅毒)と脳動脈硬化が
重視された.当時の考え方では,50歳以前の認知症は主に進行麻痺によるものであり,
50歳以上の認知症は加齢に基づく老年認知症と考えられていたが,
AL Bayle(ベイル:1799-1858)はその進行麻痺の原因が梅毒であることを
発見した(1822).
進行麻痺では血管の内膜増殖・肥厚により慢性的な脳虚血が生じて認知症を呈することを
踏まえ,Otto Binswanger(ビンスワンガー:1852-1929)や
Alois Alzheimer(アルツハイマー:1864-1915)は老年認知症に対する動脈硬化性の脳萎縮をその原因として重要視した.
⇒ 2021年07月:認知症を文学する 世界における認知症概念形成に関する系譜:
中世期17~19世紀
約1000年以上の間主流であった考え方,つまり,心と精神活動の首座は心臓にあり,
「冷たく乾燥し感覚のない脳」は心臓を冷却するための器官である,
とするアリストテレスの考え方が初めて覆ったのはこの時期である.
神経内科の教科書(De cerebri morbis:脳の疾患)を
初めて表したJaso de Pratis (1549)は,
その中で認知症に関する独立した章(De memoriae detrimento)を設けている.
Thomas Willis(1621-1675)は”foolishness”の原因として,
先天的・頭部外傷・アルコール・疾患・てんかん重積に加えて高齢も挙げている.
18世紀のスコットランドの内科医であるWilliam Cullen(1710–1790)も
”amentia senilis”(老年期精神遅滞)は
「高齢者の知覚と記憶の衰退」の結果であるとした.
一方,認知低下と脳の形態変化にも
目が向けられるようになったのもこの頃である.
Bonet(1679),Boerhaave(1700),Haller(1763)はそれぞれ,
認知症患者の脳は硬く脆く乾燥していることを記載しており,
一方,Matthew Baillie(1761-1823)は認知低下脳では
脳室が拡大していることを記載したが,
脳室拡大と脳萎縮の関連には気づいていない.
同じく19世紀のSamuel Wilksは認知低下と脳萎縮について初めて触れ,
「認知症患者の脳では脳回が合流することはなくかえって
お互いに離れておりその空間を血漿が満たしている.
軟膜をはがすと脳回の奥まで見える」(1864)と記載している.
⇒ 2021年06月:認知症を文学する 世界における認知症概念形成に関する系譜:
中世期13~17世紀
古代ローマ帝国の医学者/哲学者であるガレン(AC129–200頃)が没しローマ帝国が衰え,
代わって教会勢力と(科学的根拠のない)宗教的教義が台頭した頃より,
医学のような経験主義に基づく科学は不毛な時代に突入した.
新たな動きがみられるようになったのは13世紀に入ってからである.
ベーコン(Roger Bacon:1290)は脳部位と認知機能の関係について触れ,
脳後方部と記憶,脳中央部と理性,脳前方部と創造性の関連性を示唆した.
14世紀の詩人チョーサー(Geoffrey Chaucer:1343-1400)も
老年期の認知低下を”dotage”(老いぼれ)と表現している.
16世紀以降は高齢者の認知低下に関する記述がさらに増え,
例えば,シェイクスピア(William Shakespeare:1564-1616)は
ハムレットやリア王をはじめとする数々の作品の中で認知症を患った人物を描いている.
1583年に内科教科書を発刊したバロウ(Barrough)は,
ガレンの考えに基づき認知精神症状を
frenzy(狂乱), mania(躁), lethargy(倦怠),
melancholy(メランコリー),coma(昏睡), catatonia(緊張病),
apoplexy(卒中), epilepsy(てんかん), memory loss(記憶障害)
の9項目に分類した.Memory lossをさらに「記憶の喪失」と「理性の喪失」に分類し,
さらにその原因が脳にあることを強調した点が新しい.
⇒ 2021年05月:認知症を文学する 世界における認知症概念形成に関する系譜:
グレコローマン時代(紀元前 140 年頃~紀元後 300 年頃)以前
今月からは世界における認知症学の発祥経過を振り返り,
代表的な変性性認知症が見いだされた歴史的背景を明らかにして,
認知症学における「温故知新」を図ろうと思います.
原典は「福井俊哉.認知症学の芽生え〜そのルーツを探る〜.
認知神経科学 2014;15:153-164」に準拠しています.
ギリシャの内科医 ピタゴラス(紀元前6世紀)の記述によると,
人間の人生は7,21,49,63,81歳~ の5階層に区分されるとした.
その中で63歳~ と81歳~ の2階層は「老年期(senium)」と称され,
その当時では非常に幸運で稀な人だけが到達できる年齢層であるとされた.
この時期には心身ともに機能が低下して,
乳児の知能レベル(imbecility:愚鈍) に戻ると考えられた.
この時代ですでに加齢と認知の低下には関連性があることが示唆されている.
医学の父と称せられるヒポクラテス(紀元前4世紀)は,
老年期にみられる認知低下をparanoia(偏執病)と呼び,
ピタゴラスの言うimbecility(愚鈍)と同義に用いた.
Paranoiaの原因は器質的な脳変化であり,
致命的な結果をもたらすものであるとしている.
さらに思想家のプラトーとその弟子であるアリストテレス(紀元前4世紀)は,
老年期での精神活動低下は避けられないために
高齢者を管理職に就かせることには無理があると述べた.
紀元前2世紀の古代ローマの思想家キケロは,
老年期の機能低下は「精神が弱い者」にのみ生じるとするとともに,
活発な精神活動は認知低下を予防しその発症を遅らせる効果があることに言及している.
さらに,古代ローマ帝国の医学者/哲学者であるガレン(AC129–200頃)は,
“morosis”(古代ギリシャ語で認知症のこと)は精神病であり
高齢はその1つの原因であると述べた.
主に紀元前・後の時代を中心に,加齢と認知低下の関連は
科学者の間では既に認識されていた.
ガレンのこの思想はその後1000年以上も語り継がれていたことは驚きである.
⇒ 2021年04月:認知症を文学する 認知症に関する本邦での発見
1907年にAlois AlzheimerがAuguste Deterの剖検所見を報告する1年前の1906年,
当時ドイツ留学中の東京帝国大学医学部精神病学教授 三宅鑛が,
認知症4例中2例にplaques(老人班)を認めたとする報告を行った1).
Alois Alzheimer2)やOskar Fischer3)の報告とは異なり,
神経原線維変化に関する記述がなかった点が大変惜しまれる.
それからほぼ四分の三世紀後の1976年,
小阪憲司はレビー小体型認知症の概念形成の出発点となる一例報告を行った4).
一方,
paired helical filamentsの電顕写真は
東京大学の石川春律が初めて撮影したといわれており,
その生化学的側面については井原康夫と貫名信行の貢献が大である5, 6).
1. Miyake K. (1906) Obersteiner’s Arb 13, 212–59.
2. Alzheimer A. (1907) Zeitschrift fuer Psychiatrie 64, 146-8.
3. Fischer O. (1907) Monatsschr Psychiat Neurol 22, 361–72.
4. Kosaka K et al. (1976) Acta Neuropathol. 36, 221-33.
5. Ihara Y et al. (1983) Nature. 304, 727-30.
6. Nukina N & Ihara Y. (1986) J Biochem. 99, 1541-4.
⇒ 2021年03月:認知症を文学する 認知症学(痴呆学)の芽生え
1960年代から,「痴呆」が「ほけ,老耄,耄碌」などの用語に
とって代わって用いられるようになった.
本邦における痴呆学(認知症学)は,
「老年痴呆にアルツハイマー病変化が多い」ことを主題とする
病理学的研究から始まった.
昭和30年代には,
「白痴脳におけるアルツハイメル原線維変化の研究」(林 道倫:岡山医大精神科教授)
老人脳の病理(猪瀬 正(東京都立神経病院);精神経誌 1955;57:63-96)
老人性病変の組織化学(石井 毅(東京都精神医学総合研究所);精神経誌 1958;60:768-781)
などの論文が発表された.
一方,本邦で臨床研究が増加してきたのはようやく1980年になってからであり,
20世紀当初から臨床研究が認知症疾患発見の手掛かりとなった
ヨーロッパと認知症学の生い立ちが若干異なる印象がある.
2004年に「痴呆」が「認知症」に用語変更になってから早くも17年が経過した.
⇒ 2021年02月:認知症を文学する 認知症の病態に関する考え方の変遷
古代唐代の医書「備急千金要方(びきゅうせんきんようほう)」によると,
偏枯(片麻痺)・恍惚・狂言妄語は,「風」(ふう:外因の邪気)が
皮膚から侵入することにより生じると信じられていた.
中世元代の医書「格至余論」(かくちよろん)では,
老年期の精血減少(虚)が健忘・難聴・視力低下などを生じる原因であり,
老耄は老化に伴う自然現象であるという考え方に変化している.
江戸時代に書かれた「病因精義」(1827年)では,
「脳内障害・粘凝汚液・血性不良・老衰病損」が「脳髄」(中枢神経系)と
「霊液の路である白脈」(神経)を侵すと記されている.
さらに,明治時代に発刊された「老人病学」 (1914年)では,
老年性器質的精神障害の原因としてとして,
老耄,進行麻痺,動脈硬化,卒中発作が挙げられており
現在の考えに近づいている.
昭和時代(1941年)に刊行された「養老事業」では,
老人の認知低下を老耄性痴呆・動脈硬化性精神病・アルツハイメル氏病と分類しており,
現在の考え方に近づいてきている.
⇒ 2021年01月:認知症を文学する 近世
江戸時代の根岸鎮衛(やすもり)作 雑談集「耳嚢(みみぶくろ)」(1814年)の中に,
尾州御家中 横井也有(やゆう)作「老人へ教訓の歌」が収録されている.
一部を抜粋すると,
老人になると「皺よる,背はかゞむ,あたまはげる・・・手は震ふ,
足はよろつく,耳聞えず,目はうとい・・・よだれたらす,目しるはたえず,
とりはずして小便する・・・又しても同じ噂,達者じまん・・・くどうなる,
愚痴になる・・・身にそふは杖,眼鏡,しゆびん(尿瓶)・・・聞きたがる,
世話やきたがる・・・宵寢・朝寢・昼寢,物ぐさ,物わすれ」などが出現するが,
「それこそよけれ世にたらぬ身は」と,老耄(ろうもう)は老いの不可避的現象なので
逆らわず自然体でふるまうようにと諭している.
次に,近世の認知症予防に関する考え方は近世畸人伝(1790年)に
以下のように記されている.
養生は老耄を遅らせるとし,
具体的には,「食を喫(くらう)も些し(すこし),
心志(意志)を労することなし,淫事を断つ」こととされている.
また,患者介護に関しては,
患者は他界後に祖霊に昇格して子孫の守護神になるため
介護は家族が行うべきものであるとしている.
一方,認知症治療に関して同じく近世畸人伝によると,老耄を含む心の病に対しては
「神医(かむい)といえども術無」とあきらめられており,
「妄言・妄走・夜不寝(よるもねじ)」に対しては繋置(けいち:ひもで縛る),
桎梏(しっこく:手枷足枷),座敷牢(以上現在の身体拘束・隔離)もやむを得ない
と考えられていた.しかし同時に,これらの身体拘束を行うために提出する必要が
あるものとして,親族・名主らの連署,番所・奉行所への願書,医師の口上書,
役人の検分書などが挙げられており,
行動制限に対する懸念が芽生えていたことが理解される.
来月は認知症の病態の歴史的変遷です.
⇒ 2020年12月:認知症を文学する 古代~中世
認知症の概念の変遷と認知症を取り巻く医学的・社会的考え方の変化について振り返る
ことは,認知症と認知症疾患の理解を深めることに寄与すると思われます.
これからしばらくは,本邦における「認知症」の歴史を辿ってみたいと思います.
記載内容は「福井俊哉.認知症概念の温故知新.認知神経科学 2015;17:159-164.」
から引用します.
本邦古代における認知症
神話の世界では認知症や精神病を有する者は畏敬と脅威の対象であったとされる.
7世紀後半の万葉集の中では,鷹を逃がした鷹師を「狂(たぶ)れたる醜(しこ)つ翁」
と称している.その当時から,認知症が「狂・醜」などの文字を用いて捉えられてい
たことは興味深い.続いて続日本記(713年)では,国司の下で郡を治める地方官(郡司)
退職の時期について,「老齢に至り神識(じんしき:心の働き)が迷乱し狂言を発する場合」
とされている.
中世における認知症
この頃から認知症を「ほけ」と表現しており,現在の「ぼけ」の語源と考えられる.
源氏物語(平安時代中期 11世紀)では,明石の君の母は「こよなき ほけびと」,
横川の僧都の母は「年の数つもり,ほけたりける人」と表現されている.
また,平安時代後期 11世紀後半の夜の寝覚めでは,「老いの積りのほけほけしさ,
かくこそはと口惜しく」と無念の気持ちが綴られている.さらに,源平盛衰記
(鎌倉時代 12世紀)では,源頼朝に反逆した伊東入道祐親(すけちか)法師のことを,
その子の祐清(すけきよ)が「父入道老狂の余り 便なき(びんなき:けしからぬ)
事をのみ振舞い候」と表現し,また,頼朝からの賜物を争って取ろうとした者は
「老狂の致す所か」と記載されている.「老狂」は老年期認知症に相当するが,
社会的に何を仕出かすかわからない厄介なもの,というニュアンスが込められている.
来月は近世です.
⇒ 2020年11月:非薬物治療 認知リハビリテーション:認知訓練法(2)
先月に続き認知訓練法について説明します.
今月は手続き記憶訓練法と複合認知訓練法です.
手続き記憶訓練法と複合認知訓練法は日常生活内の動作を訓練する方法です.
手続き記憶については,2017年1月コラム:覚える・思い出す脳(側頭葉の働き)
その2で解説してありますので参考にしてください.
復習ですが,記憶は陳述記憶(言葉で表現できる記憶)と
非陳述記憶(言葉では言い表せない記憶)に分類されます.
手続き記憶はこの非陳述記憶の一つです.
例えば,自転車に乗る,泳ぐ,リンゴの皮をむく,編み物をする,
など「身に染み付いた技能」を手続き記憶と言います.
手続き記憶訓練法では,
この身に染み付いた技能である,電話をかける,お茶を入れる,
料理するなどの作業訓練を1日1時間,週5回,3週間行います(1).
その結果,訓練者は動作のスピードが上昇し,さらには訓練していない
ほかの項目も改善し,まさに「汎化効果」が認められたことになります.
複合認知訓練法は注意,記憶,言語,視空間機能を毎日刺激する方法です.
例えば,語・数列を覚えては思い出す,
絵の呼称を行う(提灯の写真を見てちょうちんと言う),
図形マッチング(各種動物の写真の中でイヌとイヌを結ぶ)
などを行う方法です.
手続き記憶の訓練法と複合認知訓練法とも日常生活動作を改善させますが,
訓練を持続しないとその効果は3カ月で消失してしまいます(2).
デイサービス・デイケアにて持続的に訓練することが好ましいという結論になると思われます.
(1)(Acta Neurol Scand. 1997;95:152-7)
(2)(Acta Neurol Scand 2002;105:365-71)
⇒ 2020年10月:非薬物治療 認知リハビリテーション:認知訓練法(1)
現実見当識訓練1)と記憶の間隔伸長法2)は記憶を訓練する方法です.
現実見当識訓練では,
時間・場所・人物の情報(見当識と言います)を繰返し繰り返し提示することにより,
見当識障害を軽減させて現実認識を再認識することを目的としています.
現実認識がしっかりすると個人の尊厳が保たれ,
その結果,対人関係や協調性を改善させることが期待できます.
一方,記憶間隔伸長法とは,「覚える―思い出す」を繰り返し,
その間隔を次第に長くする方法です.
例えば,文を覚える,それを直後に思い出す,別な作業をする,また文を思い出す,
間違えた場合は正しく覚えなおす,を繰り返す方法です.
これはちょうど受験生が自ら行っている方法ですね.
来月は手続き記憶訓練法と複合認知訓練法について説明します.
1)現実見当識訓練(Hosp Community Psychiatry. 1966;17:133-5)
2)記憶の間隔伸長法(Int Psychogeriatr. 2013;25:1743-63.)
⇒ 2020年09月:非薬物治療 認知リハビリテーション:認知訓練法 総論
認知訓練法とは記憶,注意,実行力などの訓練を行う方法です.
認知訓練法ではその訓練した内容だけではなく,
訓練領域を超えた認知領域の改善も期待でき,
それを「汎化効果」と呼びます.
これは何なのかと言いますと,
2016年11月のコラム:脳を取り仕切る脳(前頭葉の働き)
で解説したとおり,
訓練の内容如何を問わず,脳機能を訓練することにより
認知機能全体を統括する前頭葉の機能が亢進し,
その結果,認知機能全体の機能が亢進しそれが「汎化効果」として表れます(Cochrane Database Syst Rev. 2003(4):CD003260).
認知訓練法には現実見当識訓練(Reality orientation),記憶の間隔伸長法,
手続き記憶訓練法,複合認知訓練法などが代表的なものです.
来月から個々の訓練法について解説します.
⇒ 2020年08月:非薬物治療 認知リハビリテーション:認知刺激法2)音楽療法
今月は音楽療法の紹介です.8月は暑いので話を短くしましょう.
音楽療法の手段としては歌唱・楽器演奏・音楽ライブ鑑賞があります.
認知症の患者さんに対してこれらの方法を取り混ぜて
1日30分,週2~3回,10週間施行したところ,
BPSDのうち不安,行動異常に対して効果があったと報告されました(Ageing Res Rev 2013;12:628-641).
また,先月取り上げた運動も認知機能を保つことに対して有効とされていますが,
単に運動するよりも音楽を聴きながら運動するほうが
より認知保持効果が高いことも報告されています(PLoS One. 2014;9(4):e95230).
音楽は気持ちを楽しくさせてくれることは誰でもが経験あることですね.
当院では運動療法,歌唱による音楽療法を行っております.
⇒ 2020年07月:非薬物治療 認知リハビリテーション:認知刺激法1)運動療法
今月から数か月は認知リハビリテーションについて解説します.
まず,認知リハビリテーションの方法としては,
認知を刺激する方法と認知を訓練する方法があります.
今月は認知を刺激する方法についてお話します.
認知刺激法は,グループ活動や他人と会話することなどを介して
認知レベルと社会的知識を保つことを目的としています.
代表的なものとして運動療法と音楽療法がありますが,
今月は運動療法について解説します.
有酸素運動(歩行,筋力運動,エアロビなど)を1回20~150分,週3~4回ずつ,23週間続行すると,
健康感,肉体能力,認知機能が改善する結果,生活全般に積極的態度をもたらすことが報告されています(Trials 2010;11:53).
運動の内容により効果は違うのでしょうか?
アルツハイマー病患者を,
1)筋力・バランス・柔軟・歩行運動などの総合運動を行う群,
2)歩行のみ行う群,
3)歓談のみの群の3群
に分け,それぞれの内容を1回30分,16週間行いました.
その結果.各群とも「うつ傾向」が軽減したのですが,
その効果は 総合運動>歩行 で大きく,歓談のみ の群では効果が劣るとの結果が出ました
(Aging and Mental Health. 2008;12:72–80).
来月はもう一つの認知刺激法である音楽療法について述べます.
⇒ 2020年06月:非薬物治療 BPSDに対する基本的な接し方
BPSDを有する患者さんに毎日接している介護者の方は 「言うは易く行うは難し」 とおっしゃることと思います.
それを重々承知の上BPSDに対する基本的な接し方のこつを挙げてみます.
どれかはうまくいき,どれかはうまくいかないのが常ですからいろいろと試みてください.
1)一般論
規則正しい生活・食事・運動
朝日を浴びる
BPSDが最小限になるような環境整備(原因の排除):幻視の原因となる室内家具の排除,室内光度を挙げる,妄想の原因となる人となるべく合わせないようにする,など
合併症に対する治療(高血圧,便秘,褥瘡,感染,疼痛コントロール)
2)具体案
介護者にとっては理不尽なことでも,患者さんの中では理屈が通っていることを理解する.
BPSDの背景にはこじれた人間関係があることが多いことを理解する.
患者さんが理不尽なこと(妄想など)を言う場合,肯定も否定もせず,受け止めるだけにする(あ~そうなの~):無視はせずに話は聞くが,それに対する評価はしない(そのほうが介護者にとっても心理的に楽です)
ある問題がこじれそうになった場合には,全く別のこと(本人が好むこと)に注意を誘導する(あ,そういえば,お母さん温泉旅行が好きよね~,など)
得意なこと(洗濯物のたたみなど)を依頼
⇒ 2020年05月:他の薬物治療 主にBPSDに対する薬物療法(3)
4)抗精神病薬:従来から用いられている「定型」抗精神病薬と,より新しく開発された「非定型」抗精神病薬があります.
副作用がより少ない点で,もっぱら非定型抗精神病薬が使われています.ただし,患者さん本人と周囲の人の生命的危機が及ぶ緊急事態(首絞めなどの自傷他害)の場合は
定型抗精神病薬(主に注射薬)を用いる場合もあります.
非定型抗精神病薬にはクエチアピン(セロクエル),オランザピン(ジプレキサ),リスペリドン(リスパダール),
ペロスピロン(ルーラン),アリピプラゾール(エビリファイ)などがあり,それぞれの薬理作用には微妙な差異があります.
クエチアピンとオランザピンが糖尿病に禁忌であるほか,程度に差はありますが,どの薬剤も錐体外路症状(パーキンソン症候群)を誘発する可能性があります.
また,アメリカ食品医薬品局は,非定型抗精神病薬の使用が脳血管障害,骨折,肺炎の危険性を上げると警告しています.
⇒ 2020年04月:他の薬物治療 主にBPSDに対する薬物療法(2)
3)抗うつ薬:トラゾドン(デジレル・レスリン)はうつ傾向に対してよりも,認知症における鎮静目的で用いることが多い薬剤です.
特に前頭側頭型認知症に対する効果に関しては論文が発表されています(Dement Geriatr Cogn Disord 2004;17:355-9.).
これは来月述べる抗精神病薬よりも副作用が少ないという理由に基づきます.
一方,抗うつ薬の代表である選択的セロトニン再取り込み阻害薬が「うつ傾向」に対して投与されることが多いのですが,
抗うつ薬は「認知症によるうつ傾向には有効ではない」(Lancet 2011;378:403-411)
という報告もあることを念頭に置く必要があります.
おそらく,「うつ傾向」は「アパシー(無関心・無感情・無感動)」との鑑別が困難であり,
抗うつ薬は「アパシー」に対しては無効であることもこの結論の一因であると考えられます.
抗うつ薬の副作用として,眠気,ふらつき,てんかん発作の増悪,まれには高熱・高血圧が出現する「セロトニン症候群」などがあることも知っておくべきでしょう.
⇒ 2020年03月:他の薬物治療 主にBPSDに対する薬物療法(1)
コリンエステラーゼ阻害薬とメマンチンが認知症に対する「基本治療」と考えられ,「弊害がない限り行うことが好ましい」と考えられます.
一方,ほかの薬物治療のほとんどは「BPSDに対する対症療法」とみなせますので「必要がない限り行わない」といえる点で根本的に異なった
方向性を有する治療法と言えます.汎用される薬剤と目的とする症状を列記します.
1)漢方:抑肝散(釣藤散).易怒性,激昂,脱抑制に有効.
副作用として過鎮静のほか,甘草による低カリウム血症と血圧上昇に注意が必要です.
2)抗てんかん(気分調整)薬:カルバマゼピン(テグレトール○R),バルプロン酸(デパケン○R),トピラマート(トピナ○R)などが使われますが,効果についての十分に立証されていない点が弱点です.
眠気,ふらつき,皮膚症状などの副作用の可能性があります.
⇒ 2020年02月:抗認知症薬 グルタミン酸受容体阻害薬 メマンチンについて
メマンチンは1980年台からドイツで市販されていた古い薬ですが,本邦では2011年にメマリー○Rという商品名で発売開始されました.
厚生労働省による適応疾患は中等度~高度アルツハイマー病のみです.
多くの研究によると軽度認知障害や軽度アルツハイマー病では効果が低いとされています.
多くの場合,コリンエステラーゼ阻害薬と併用することが多いのですが,メマンチン単独で治療したほうが良い結果をもたらす場合もあります.
副作用として最も問題になるのは,内服量が増えるに従い眠気とふらつきが出現する場合があることです(個人差があります).
特に腎機能が低下している場合には維持量を通常の半分(10mg)にする必要があります.
最後に,コリンエステラーゼ阻害薬もメマンチンも基本的にはアルツハイマー病治療薬であり,他の疾患には適応がとれていません.
レビー小体型認知症に対するドネペジルの適応が唯一の例外です.実臨床では症状に合わせて他疾患にも,適応外使用として応用していることが現状です.
⇒ 2020年01月:抗認知症薬 グルタミン酸受容体阻害薬 基礎
先月,認知症では「アセチルコリン」が欠乏していること,また,グルタミン酸受容体の働きが過剰になっていることをお話ししました.
今月の話は若干難しいのでわかりやすいようにごく平易に説明したいと思います.
まず.神経細胞同士が情報伝達する部位を「シナプス」といいます.グルタミン酸は普段はあまりシナプス間には存在しませんが,
何かを記憶するときだけシナプス間に大量に放出されて,次の神経細胞にメリハリのある信号が送られることにより「記憶」が形成されます.
グルタミン酸受容体はこのメリハリが適切になるように,いつもは亜鉛イオンにより蓋をされていて,
グルタミン酸刺激が来た時だけ亜鉛蓋が外れて刺激(カルシウムイオン)が次の神経細胞内に入ります.
アルツハイマー病などの認知症の場合にはこの亜鉛蓋が外れていることが多く,刺激(カルシウムイオン)が常に過剰に神経細胞に流入しています.
この状態が続くと神経細胞死に至ります.そこで,メマンチンという薬は亜鉛蓋に代わってグルタミン酸受容体を臨機応変にブロックしてこの不都合を是正します.
この作用により,記憶形成が改善され,神経細胞死を予防できると考えられています.
⇒ 2019年12月:抗認知症薬 各コリンエステラーゼ阻害薬の特徴
ドネペジルとガランタミンは内服薬ですが,ドネペジルが1日1回内服,ガランタミンは1日2回内服が必要です.
一方,リバスチグミンは1日1回張り替える皮膚への貼付薬である点で他の2剤と大きく異なります.
厚生労働省が許可している適応疾患は,ドネペジルが軽度~高度アルツハイマー病(アリセプト○Rの適応はレビー小体型認知症も含む),
リバスチグミンとガランタミンは軽度~中等度アルツハイマー病です.今までの文献によりますと,これら3剤の間に効果上の差はないとされています.
いずれの薬剤も少量から開始して維持量まで漸増していきます.
統計学的には維持量が最も臨床効果が高いことが分かっていますので,原則的には維持量を目指して量を増やします.
一方,副作用(消化器症状や興奮)などにより維持量以下に減量したうえで内服を続けることもあります.
私見ですが,ドネペジルはアパシーが強くあまり元気のない症例に,ガランタミンはやや苛立っていて不眠などを訴える症例,
リバスチグミンは内服困難や拒否のある症例,攻撃性などの陽性BPSDを有する症例に向いているようです.共通した副作用として,
食欲不振・吐き気,興奮,不眠など,リバスチグミンに特化した副作用として貼付部位の掻痒・湿疹などが挙げられます.
来月はグルタミン酸受容体の機能が過剰になっている状態を抑える(阻害する)薬の話です.
⇒ 2019年11月:抗認知症薬 コリンエステラーゼ阻害薬の基礎
覚醒と記憶に重要な働きをするアセチルコリンは,「コリンエステラーゼ」という酵素により分解され捨てられてしまいます.
このアセチルコリンが低下している認知症では,「コリンエステラーゼ」の働きを弱めてアセチルコリンが分解されないようにすると,使えるアセチルコリン量を確保できることになります.
このような薬は「コリンエステラーゼ阻害薬」と呼ばれ,本邦を含めて世界中に3薬(ドネペジル・リバスチグミン・ガランタミン)が市販されています.
すべて1990年台後半~2000年台前半に販売されましたが,本邦ではドネペジル(アリセプト○R)が1999年に,他の2剤は2011年から使用できるようになりました.
アリセプト○Rはドネペジル(一般名)の商品名ですが,特許解禁以降は「ドネペジル○○」(○○は薬品会社名)という名前でジェネリック薬が市販されています.
リバスチグミン(イクセロンパッチ○R,リバスタッチパッチ○R)とガランタミン(レミニール○R)にはジェネリックはまだ出ていません.
来月はそれぞれの薬剤の特徴をお話しします.
⇒ 2019年10月:抗認知症薬 総論とコリンエステラーゼ阻害薬
抗認知症薬が開発されてきた背景には2つの基本的な考え方があります.
1つ目は,認知症(アルツハイマー病とレビー小体型認知症,認知症を伴ったパーキンソン病)では脳内の神経伝達物質である「アセチルコリン」が欠乏していること,また,2つ目は,神経細胞同士が情報伝達する橋渡し部位(シナプス)においてグルタミン酸を受け取る構造物(グルタミン酸受容体)の働きが過剰になっていること,の2つです.
アセチルコリンは覚醒(目を覚ましていること)と記憶に,またグルタミン酸は記憶に関係する重要な神経伝達物質です.
来月は脳内のアセチルコリンを増やす薬についてお話します.
⇒ 2019年09月:認知症と神経疾患の話題
今月からは認知症と行動・心理症状(BPSD)に対する治療について具体的に紹介していきます.すでに内服されている方や認知リハビリテーションを受けている方は,その薬がどのような効果を持つのか,リハビリがどういう意味を持つのかをご理解いただければ幸いです.
認知症(とBPSD)に対する治療には,薬を使う「薬物治療」と薬を使わない「非薬物治療」があります.一般的には「非薬物治療」が優先されますが,両者は相補的な役割を演じていますので通常両者を併用します.
薬物治療は大きく分類して2種類あります.1つは脳機能の改善を目的とした抗認知症薬,他方は認知症の各種症状(特にBPSD)をコントロールする薬剤です.抗認知症薬が基本治療であるとすると症状コントロールのための薬は対症療法と言えます.残念ながら,病気自体を直す治療薬(疾患修飾薬)の開発は遅々として進んでおりません.
非薬物療法には認知リハビリテーションと精神療法があります.精神療法は心理療法とも言われ,教示,対話を通して認知,情緒,行動などに改善をもたらせようとする精神科に特化した治療法です.
来月からそれぞれの治療法の内容を説明していきます.
⇒ 2019年08月:正常圧水頭症の検査所見と治療
CT/MRIでiNPHを見つけることができます.脳室が拡大している所見に加えて,冠状断(脳を上下に切り前後方向で観察する撮影方法)にて脳が天井の頭蓋骨に押し付けられ脳のしわが見えなくなり,一方,その下の部位の脳の隙間が異常に拡大している所見があるとiNPHが疑われます.
進行性の認知障害,歩行障害,さらには尿失禁があり,画像上の特徴を有する場合には,「タップテスト」を行います.タップテストとは腰椎穿刺にて脳脊髄液を大量(約30cc)廃液し,これらの3症状が改善するかどうかを判定する検査です.
改善がみられる場合には,社会的な手術適応(年齢,体力,認知症重症度,他疾患の合併など)を検討したうえで,脳室内の髄液を腹腔内にバイパスさせる脳外科的手術(VPシャント)を行います.日本では腰椎から腹腔内に脳脊髄液をパイパスする方法(LPシャント)が普及しています.これがiNPHを治療可能な認知症と称する所以です.
次回からは認知症と行動・心理症状(BPSD)に対する治療について取り上げていきます.お楽しみに.BPSD症状に関しては2016年10月コラム(認知症の「行動・心理症状」とは何ですか?)をご参照ください.
⇒ 2019年07月:正常圧水頭症の紹介
今月は脳外科的な治療により認知症が改善しうる正常圧水頭症(idiopathic normal pressure hydrocephalus:以下iNPHと略します)について解説します.
iNPHは単独でも発症しますがほかの認知症疾患に併発することも多く,診断に苦慮することも少なくありません.
そもそも水頭症とは脳内に過剰な脳脊髄液が貯留することをいいます.水頭症には閉塞性水頭症と交通性水頭症があります.閉塞性水頭症は脳脊髄液の通路が物理的に閉塞された場合に,交通性水頭症は脳脊髄液の吸収が障害された場合に生じます.iNPHは交通性水頭症に属します.
iNPHは1965年に初めて提唱された概念であり,水頭症の特徴である脳室拡大はあるものの,閉塞性水頭症でみられる脳脊髄液圧の上昇がないことが特徴です.臨床症状として歩行障害(歩行開始困難と開脚歩行),認知症(主に注意障害と思考緩慢),尿失禁が3徴として有名です.65歳以上の有病率(ある時点で病気を有している患者の人口に対する割合)は0.3~3%と報告されていますが,実際には無症候性のiNPHもありますので有病率はもっと高いものと思われます.iNPHは「特発性」なので特に原因を突き止めることはできません.老化現象やアルツハイマー病病理の存在がiNPHの原因になるという説があります.
⇒ 2019年06月:クロイツフェルト-ヤコブ(Creutzfeldt-Jakob)病と
ほかの認知症疾患との違い
CJDは認知症を来たす疾患と考えられています.しかし,先月ご紹介した症例のように,初期には局所性皮質欠落症状(着衣失行など)が主症状となり物忘れが目立たない点から,あまり「認知症」にはみえないこともCJDの特徴です.
CJDは後頭葉,頭頂葉を好んで障害するために,視覚異常や視覚認知障害が初発症状となることが多いことは良く知られています.このタイプをHeidenhain型CJDといいます.本例が呈したBalint症候群はHeidenhain型CJDの典型的な症状であり,次の3徴候を特徴とします.
1)視覚性注意障害:視野内の複数対象のうち1つのみに注意が集中してしまい他は見えていないこと,
2)精神性注視麻痺:別の対象へ視線を移動させることが困難なこと,
3)視覚失調:固視できている対象を掴もうと手を伸ばした時に手の向かう方向が対象から外れてしまうこと.
CJD初期には皮質欠落症状が単独で急速に出現するために脳血管障害と間違われることも少なくありません.その他,慢性硬膜下血腫や悪性度の高い脳腫瘍が鑑別すべき疾患として挙げられます.この期間は血管造影,脳脊髄液検査,悪性疾患の脳転移の可能性を前提とした消化管内視鏡検査など,侵襲的検査が無用心に施行されて医療器具がプリオン汚染される可能性が高いため,最も注意を要する時期です.
⇒ 2019年05月:クロイツフェルト-ヤコブ(Creutzfeldt-Jakob)
病自験例:経過と解説(自著「症例から学ぶ認知症診断」から引用)
先月ご紹介したCJD自験例 71歳,女性のその後の経過です.
発症5ヶ月:自宅のトイレの位置がわからなくなり,家事を行うことは不可能.
身の回り日常生活動作(更衣,整容,排泄)も要介助となった.
発症7ヵ月:歩行が要介助,視空間認知障害(Balint症候群:来月解説します),捜衣模床(あたかも床を直しているような,しかし無目的的な衣服・寝具の弄び),高度の思考緩慢(考えるスピードが遅い)と喚語困難(言葉を思いつかない).
発症9ヵ月:歩行不可能.開眼しているが,呆然としておりコミュニケーションはとれない.介護困難のために慢性期病院に入院.
解説:本例は臨床症状も画像所見も比較的典型的なCJDです.特に誘引なく,急速に着衣失行,視空間認知障害が出現して比較的急速に進行するという,他の認知症疾患ではあまり見られないような経過をたどりました.初診時には右頭頂葉障害に基づく各種症状(着衣失行,左視覚消去現象),軽度の注意・作業記憶障害によると思われる発話量低下,記銘障害,数字逆唱障害などを合併していたことがCJDに気が付くきっかけでした.
⇒ 2019年04月:クロイツフェルト-ヤコブ(Creutzfeldt-Jakob)病の
自験例紹介:初診まで(自著「症例から学ぶ認知症診断」から引用)
71歳,女性.
主訴:最近急に迷子になりやすくエプロンを着ることができなくなった.
家族歴・既往歴:特記事項なし.海外渡航歴なし(狂牛病感染の機会なし).
現病歴:初診2.5ヵ月前から,通いなれているはずの駅構内で迷う,エプロンを頭から被って着ることができない,周囲が見えにくく車にぶつかりそうになった,若干のもの忘れも出現した.
初診時所見:意識清明,礼節は保たれ,病識も正しい.発話量は低下.HDS-Rは26/30点であったが,「一つを考えているとだんだん混乱して他を忘れてしまう」という発言があり,注意障害や近時記憶障害の可能性が示唆された.
一般身体的所見:高血圧
神経学的所見:異常なし.神経心理学的所見
1)着衣失行:ジャケットやカーディガンのように前後上下がわかりやすく,頭を通さずに羽織れる衣服でも着衣できるようになる前には数回の試行錯誤が必要.頭を通す丸首セーターやかっぽう着などは,頭を通す前に両手を通してしまう結果,結局頭を通すことができずに立ち往生した.いずれの場合も正常に脱衣可能である.
2)左視覚的消去現象:両側視野に同時に視覚的刺激を提示すると高率に左視野の刺激に気づかない(無視する)現象
3)身体定位失行:ベッドに臥位になる際,ベッド軸に対して自己身体を適切に合わせて寝ることができない現象(具体的には直角に近い角度で寝てしまう).
検査結果:CJDに特異的とされる脳MRIT2強調画像・拡散強調画像上の右側頭頭頂後頭葉,両側帯状回後部,左後頭葉内側に皮質に沿った高信号域,同部位のSPECT取り込み低下,脳波基礎律動の徐波化に基づきCJDと診断.
来月は自験例の経過と解説を行います.
⇒ 2019年03月:クロイツフェルト-ヤコブ(Creutzfeldt-Jakob)病の症状
CJDの病期は3期に分けられます.進行速度は個人により,また背景にあるプリオン遺伝子変異型によって大きく異なります.進行が急速な症例や緩徐な症例があります.
第1期:ふらつき,めまい,視覚異常(ゆがんだり,色が違って見える),もの忘れ,失調症状(ふらつき)等の非特異的症状.
第2期:急速な認知症の進行,失語・視空間失認,意思疎通が不可能になり,ミオクローヌスと驚愕反応(音などに極端にびっくりする)が出現する.歩行は徐々に困難となりいずれ歩行不能となる. 第3期:無動無言状態となり1~2年以内に死亡する.
他の認知症疾患とは臨床症状がかなり異なることが特徴と言えましょう.急速進行性認知症の場合は原因の一つとしてCJDを考えます.
来月は実際に私が拝見した患者さんを紹介します.
⇒ 2019年02月:クロイツフェルト-ヤコブ(Creutzfeldt-Jakob)病の病型
今月はクロイツフェルト-ヤコブ(Creutzfeldt-Jakob)病の病型について説明します.
孤発性CJD:上で述べたようなプリオン蛋白の「自然な構造変化」により発症するCJDです.CJDの85%を占めます.
家族性CJD:プリオン蛋白遺伝子の変異が遺伝することによりCJDが家族内発症するタイプです.全体の15%がこのタイプです.
変異型CJD:肉骨粉(クズ肉,骨,内臓,血液等を加熱・乾燥させて粉末にしたもの)を牛の餌としたために急速に牛海綿状脳症(BSE)感染が拡大しました.ヒトには牛海綿状脳症に感染した食材を経口摂取することにより発症します.一時,「狂牛病」としてマスコミを騒がせました.
医原性CJD:医療器具,輸血,人由来ホルモン補充療法,角膜移植,硬膜移植などを介した既感染者から他人(医療従事者を含む)への感染するタイプです.
来月はCJDの症状を解説します.
⇒ 2019年01月:クロイツフェルト-ヤコブ(Creutzfeldt-Jakob)病の紹介
クロイツフェルト-ヤコブ(Creutzfeldt-Jakob)病(以下CJDと略します)はごくまれにみる認知症疾患ですが,他の疾患と異なり急速・激甚に進行して致命的となる恐ろしい病気です.一時,CJDの亜型(変異型CJD)が「狂牛病」で注目を集めたことも記憶に新しい出来事ではありませんか?
概念:まず,CJDは今までの述べてきた変性性疾患とは全く異なり,「プリオン病」に属します.そもそも,「プリオン」とは何でしょうか? 神経細胞や免疫担当細胞内には正常型プリオン蛋白が存在することが知られていますが,その機能についてはほとんどわかっていません.この正常型プリオン蛋白が何らかの理由で構造が変わり,伝播性(感染性)を有する異常プリオン蛋白に変化します.
その後,中枢神経内でこの異常プリオンタンパクが正常型プリオンを連鎖反応的に異常型に転換させ,その結果,神経細胞死を招く致死的疾患をプリオン病と称します.プリオン病に侵された脳が顕微鏡下では海綿状(スポンジ状)を呈することから,動物の場合は「海綿状脳症」と呼ばれます.
⇒ 2018年12月:大脳皮質基底核変性症の病理
大脳病理に左右差のあることがCBDの特徴です(ただし左右差が明確ではない場合もあり診断が難しいことがあります).
典型的には中心溝(前頭葉と頭頂葉を分ける溝)周囲の中心領域(前頭葉・頭頂葉の境界)の大脳皮質萎縮,および淡蒼球,視床下核,歯状核の変性がみられます.顕微鏡所見としては,大脳皮質における風船様腫大神経細胞(ballooned neuron;いわゆるPick細胞)と神経細胞とアストロサイト(神経細胞をつなぐ膠質細胞)内の異常リン酸化タウの蓄積を特徴とします.アストロサイト突起内のタウ沈着はastrocytic plaque(アストロサイト斑)と称され,CBDを特徴づける病理所見とされています.
他方,CBDはPick病の病理学的に近似性があり,Pick病の病理分類の中で,「Pick細胞を有するがPick球を欠くもの(Pick病 type B;2017年6月コラム参照)がCBDの病理所見に一致します.一方,臨床的には典型的なCBDであっても,その原因疾患としてCBD以外にもアルツハイマー病,レビー小体型認知症,クロイツフェルトーヤコブ病があることが分かってきました.CBD臨床症状が必ずしもCBD病理に基づくとは限らないことから,最近はこの臨床・病理集合を「corticobasal syndrome (CBS)」と称する考え方が主流になりつつあります.
来月以降はクロイツフェルト-ヤコブ(Creuitzfeldt-Jakob)病について解説したいと思います.
⇒ 2018年11月:大脳皮質基底核変性症の検査所見
CT/MRI・SPECT:臨床症状に対応して左右差が強いことが特徴とされています.しかし,発症直後や左右差の目立たない症状(例えば構音障害など)の場合は非対称性が目立たない場合もあり,左右差がないことは必ずしもCBDを否定する根拠にはなりません.
脳萎縮・血流低下部位は症状と反対側の中心領域(前頭葉後部~頭頂葉前方部の中心溝周囲)に目立ちます.
核医学:進行性核上性麻痺と同じく,ドパミントランスポーターSPECTでは線条体の取り込み低下(活性低下)がみられますがMIBG心筋シンチに異常はありません(自律神経障害がない).
来月は大脳皮質基底核変性症の身体症状について解説します.
⇒ 2018年10月:大脳皮質基底核変性症の認知症状
今月は大脳皮質基底核変性症(CBD)の認知症状について解説します.
CBDでは前頭葉機能障害,肢節運動失行・観念運動性失行,視空間認知障害(以下に説明)とともに,PSPと同様に原発性進行性失語の1タイプである進行性非流暢性失語の原因疾患として重要視されています.一方,発症時に易転倒性,歩行障害,核上性眼球運動障害が認められ,CBDとPSPの初期鑑別が困難な症例も少なくありません.
用語の復習をします.
前頭葉機能(2016年11月コラム参照):実行機能(計画実行力),注意(精神集中や広く注意を払う能力),複数課題の処理能力(同時にいろいろな仕事ができる能力),思考セットの変換(頭の切り替え),思考スピード(頭の回転の速さ),帰納的推測(個々の情報から総合的一般論を見出す能力),社会適応能力(自分の立ち位置を失うことなく社会と摩擦を生じないで行動する能力)などを指します.
肢節運動失行:運動障害と失行(2017年2月コラム参照)との間に位置する行為障害です.机の上のコインを拾い上げる,手袋に手を入れるときの「不器用な手・指の使い方」と表するとわかりやすいと思います.
観念運動性失行(2017年2月コラム参照):ジェスチャー障害ですが,「似ているが違うことをする」行為障害です.バイバイをさせると招き猫のような手の運動をする,など.
視空間認知障害(2017年2月コラム参照):
「視空間認知」とは自分と自分を取り巻く空間との関係を正しく知覚して判断する能力です.これが障害されると,車を車庫に入れることができない,場所に迷う,描いた絵が空間的に歪む,などの症状として現れます.
⇒ 2018年09月:大脳皮質基底核変性症とは?
概念的には大脳皮質基底核変性症(Corticobasal Degeneration:以下CBD)は過去3か月間でお話ししてきた進行性核上性麻痺と病理学的には兄弟のような疾患であるとお考え下さい.しかし症状はかなり異なります.
今月は大脳皮質基底核変性症(CBD)の歴史と身体症状について解説します.
CBDは当時学生であったRebeizらにより1968年に初めて報告された疾患です.その原著には,非対称の筋強剛,観念運動性失行,皮質性感覚障害(例:紙やすりの粗い・細かいなどの差が分からない),ミオクローヌス(ピクッとする不随意運動),ジストニア(四肢・体幹をねじったような肢位をとること),”alien hand sign”(自分の意志には関連しない目的的・無目的的な四肢の行為)が記載されています.
厚生労働省の大脳皮質基底核変性症の診断基準には,中年発症・緩徐進行性疾患,左右非対称性でレボドパ無効の錐体外路症状(筋強剛・無動,ジストニア,ミオクローヌス),大脳皮質徴候(皮質性構音障害,失語,失行,皮質性感覚障害,alien hand sign)と要約されていますが,錐体路徴候(四肢痙性,深部腱反射亢進,病的反射)の存在も重要です.
来月はCBDの認知症状について解説しましょう.
⇒ 2018年08月:進行性核上性麻痺の認知症状
先月お話しした進行性核上性麻痺(PSP)の4型(Steele-Richardson-Olszewski型・PSP-パーキンソニズム型・ PSP-小脳失調型・純粋無動型)と,それぞれに随伴する認知症状の内容や程度との関連はまだ明らかにされていません.また個々の症例によっても認知症状が異なることにも注意が必要です.
一般的にPSPではアパシー,衝動性,易怒性が目立ち,幻覚,妄想は少ないとされています.アルツハイマー病に代表される海馬性記憶障害(記憶形成の障害)は古典的に「皮質性認知症」と称されますが,PSPの認知障害はそれに対して「皮質下性認知症」と呼ばれます.
具体的には,思考緩慢(考えるスピードが遅い),実行機能障害(物事の手順が悪い),考え無精(考えようとしない),反響言語/行為(相手の言葉や動作を反射的に繰り返す),把握反射(手掌への刺激で手指が屈曲する),本能性把握反応(視覚・触覚的に刺激を与える対象物を掴もうと手が追いかける)とその発展形である病的な到達運動(目の前の物品や診察医の身体に手を伸ばしてくる)などの,前頭葉機能低下を主体とした認知症状が特徴的です.
一方,発症から2年間は認知症を伴わないで主に失語(言葉の障害)が進行するものを「原発性進行性失語」と称し,その原因として前頭側頭葉変性症が良く知られています.原発性進行性失語の1タイプである「進行性非流暢失語」の原因の半数はPSPや,来月以降お話しする大脳皮質基底核変性症である点からもPSPと大脳皮質基底核変性症が前頭側頭葉変性症と類似性を有していることがうかがわれます.
ということで,来月からは大脳皮質基底核変性症について解説していきます.
⇒ 2018年07月:進行性核上性麻痺の身体症状
PSPには身体症状の特徴から大きく4タイプに分類されます.
・Steele-Richardson-Olszewski型(PSP-RS):
原著の著者名がついた最も古典的な病型です.中年以降の発症が多く,垂直方向の眼球運動障害と衝動性眼球運動障害,頸部後屈,頸部に高度の筋強剛,左右差のない四肢筋強剛,構音・嚥下障害,小歩・動作緩慢・無動,初期からの姿勢反射障害,尿失禁などのPSPとして典型的な身体症状を呈します.「進行性核上性麻痺」との名称は実はこのタイプにみられる眼球運動障害を言い表していますが,疾患全体の名前になりました.
・PSP-パーキンソニズム型(PSP-P):
PSP-RSの特徴が目立たず,振戦があり症状の左右差が明確でレボドパが有効であることからパーキンソン病と類似している点があります.区別をするためには2018年5月のコラムで述べたMIBG心筋シンチを行うことが勧められます.パーキンソン病は異常所見を呈しますが,PSPでは異常は見られません.
・PSP-小脳失調型(PSP-C):
やはりPSP-RSの特徴はなく小脳性運動失調症が目立つことから脊髄小脳変性症や多系統萎縮症との鑑別に注意が必要です.最近日本から提唱された臨床型です.
・純粋無動型(Pure akinesia):
高度のすくみ足が唯一の臨床症状であり,ほかの臨床型の特徴は有せず,レボドパは無効です.やはりパーキンソン病との鑑別が困難です
来月はPSPの認知症状の解説です.
⇒ 2018年06月:進行性核上性麻痺とは?
かなり長い間,レビー小体病についての解説にお付き合いいただきましてお疲れさまでした.今月からは別の疾患を話題にしたいと思います.具体的には,進行性核上性麻痺,大脳皮質基底核変性症,クロイツフェルト-ヤコブ病,正常圧水頭症を順次紹介します.今月から数回,進行性核上性麻痺(Progressive Supranuclear Palsy:以下PSPと略します)について解説していきます.
1.病理の特徴:まず,PSPはレビー小体病やアルツハイマー病とは病理所見が根本的に異なり,PSPは異常リン酸化タウの沈着を特徴とする点で前頭側頭葉変性症に類似点を有した疾患です.やや難しい話になりますが,視床下核,基底核(淡蒼球),脳幹(黒質,赤核,脳幹被蓋)や小脳歯状核の神経細胞が減少し異常リン酸化タウが沈着します.神経細胞とアストロサイト(注 参照)内のタウ沈着はそれぞれ,渦巻き型神経原線維変化,房状アストロサイトと称され,これらがPSPに特異的な顕微鏡的所見とされています.
注:アストロサイト=星状細胞 神経細胞と血管を構造的・機能的に支える役割を担う非神経細胞
2.検査所見
1)CT/MRI:中脳被蓋(中脳の背側)萎縮(水平断では中脳のmickey mouse sign(ミッキーの顔のように見える)/morning glory sign(朝顔のように下部 (被蓋) がすぼまっている), 矢状断では中脳四丘体の萎縮によりhumming bird sign(前額部が張り出していないハチドリの横顔のように見える),第III脳室の円形拡大(島の萎縮を反映),前頭葉側頭葉の対称性萎縮,小脳・上小脳脚萎縮が特徴です.
2)脳血流量検査:主に前頭葉・側頭葉の取り込み低下がみられます.
3)ドパミントランスポーターSPECT:レビー小体型病と同様に線条体取り込み低下がみられます.
4)MIBG心筋シンチ:異常はありませんのでレビー小体型病との鑑別診断に有用です.
来月はPSPの身体症状についてお話します.
⇒ 2018年05月:レビー小体病を見つける検査法:特異的検査
1)ドパミントランスポーターSPECT:脳幹部にある黒質から,基底核の一部をなす線条体に向かうドパミン系に存在するドパミントランスポーターを画像化し,ドパミン系機能を評価する検査です.正常な線条体は寸胴な「たらこ」状に見えますが,異常を有する場合は,この「たらこ」が下のほうからやせ細り頭だけが残った「おたまじゃくし」のようになります(被殻から取り込みが低下して尾状核頭が点状に残存).PD/DLBでは障害されますが,アルツハイマー病,前頭側頭型認知症,血管性認知症では基本的には正常ですから鑑別診断に有用です.一方,この検査法を用いても,同じくレビー小体病であるPD/PDD/DLBや多系統萎縮症との区別をつけることはできません.また,黒質線条体のドパミン系が同様に障害される進行性核上性麻痺や大脳皮質基底核変性症とレビー小体病の鑑別にも役立ちません.さらに,発症時にはまだドパミントランスポーターSPECT上の異常は見られずその後の経過で異常が明らかになる場合,また逆に臨床症状が出現する前から異常が見られる場合があることに注意を要します.
2)MIBG心筋シンチ:レビー小体病では自律神経系が障害されることを背景に,交感神経節後線維である心臓交感神経の障害を判定する検査法です.注射した薬剤(MIBG)が心臓交感神経を含有している心筋に取り込まれその濃淡を撮像します.取り込みのないバックグラウンド(縦隔)を1にした場合の心筋の取り込みの比(心臓縦隔比)をもってその指標とします(正常は2.2以上).心臓縦隔比はレビー小体病で低下しますが,自律神経に障害をきたさないアルツハイマー病,前頭側頭型認知症,血管性認知症では低下せず,またドパミントランスポーターSPECTでは異常を呈する進行性核上性麻痺,大脳皮質基底核変性症でもMIBG心筋シンチは正常に保たれるためPD/DLBの鑑別に有用です.一方,糖尿病性自律神経障害や心筋自体に障害の場合には異常所見を呈すること,また,ドパミントランスポーターSPECTと同様に偽陰性があることに注意が必要です.
⇒ 2018年04月:レビー小体病を見つける検査法:一般検査
以前のコラムで,「パーキンソン病は「見ればわかる」疾患なのです」と書きましたが,レビー小体病と,パーキンソニズム(2018年2月コラム参照)を呈するほかの疾患(血管性・薬剤性パーキンソン症候群など)を区別することに苦労することがあります.
そのようなときに有用な検査法を紹介します.
1)頭CT/MRIは脳の形を診る検査ですので「形態画像検査」と呼ばれます.これらは「補助的診断検査」と言われるだけあり,臨床症状を解釈するための補助手段として診断に寄与します.頭CT/MRIを見ただけではレビー小体病かどうかは診断できません.脳の形態画像のみで診断が下るものは,脳血管障害,脳外傷,脳腫瘍,正常圧水頭症などの脳外科領域の疾患が主体となります.レビー小体病の場合は他の変性性脳疾患のような画像的特異性(例:アルツハイマー病における海馬萎縮など)を欠くことが特徴です.一方,前述したアルツハイマー病病理が合併している場合は海馬・皮質萎縮が目立ってきます.
2)脳血流量検査(SPECT)は脳の機能を診る検査ですので「機能画像検査」と呼ばれます.一般的にはDLBにおける後頭葉取り込み低下が有名であり,「後頭葉取り込み低下のない症例はDLBにあらず」という誤解まで生じています.確かに,DLBの「アルツハイマー病に対する」血流低下部位は頭頂後頭葉であるとされていますが,すべてのDLB症例の中で後頭葉取り込み低下を示す割合は7割弱に過ぎません.正常コントロールに対するDLB/PDDの血流低下部位は前頭葉,頭頂葉,頭頂後頭葉,視床であることが分かっており,決して後頭葉のみに血流低下が生じるのではないことは肝の銘じておく必要があります.なお,パーキンソン病とレビー小体型認知症の間にはSPECT上の差異はないとされています.
⇒ 2018年03月:
パーキンソン病(PD)とレビー小体型認知症(DLB)の共通症状―非運動症状
先月に引き続きPDとDLBの共通症状のうち非運動症状について解説します.
非運動症状はレビー小体が多系統の神経系に分布することを背景に出現します.実はこれらの症状の原因(出どころ)がPD/DLBであるとは気づかれず,症状別に各種診療科への無用な受診を繰り返し,不適切な多量投薬を受けてしまい(polypharmacyといいます),その副作用で病態をさらに複雑なものにしてしまうことが由々しき問題です.
a.自律神経障害:便秘や食欲のむら(消化器の蠕動低下),血圧の乱高下(安定しない),起立性・食後性低血圧による失神,各種排尿障害(頻尿・排尿困難・尿失禁).発汗障害(下半身発汗減少・上半身多汗)とその結果としてのうつ熱を生じる一方,暑い時期でも「寒さ」を訴えることが多く,この症状には「体感幻覚(実際には存在しない感覚を感じてしまう幻覚)」も加わっているように思われます
b.精神・感情・行動障害:抑うつ・不安(病初期にうつ病と誤診されやすい),各種不定愁訴(不安神経症に間違えられる),理不尽なこだわり現象(例:食パンが厚すぎる・薄すぎると毎日こだわる),他人の感情の理解障害(特に怒り・困惑表情を理解しないため人間関係が悪化しやすい),幻覚(幻視が多い),妄想(訂正困難な判断の誤り),衝動的行動(突然立ち上がり転倒する,病的ギャンブリング,性的逸脱行為)など.
c.睡眠障害:熟眠感がないことによる不眠の訴え,昼間の過眠,REM睡眠行動異常症(深夜~明け方の大声,四肢のばたつかせ,ベッドからの転落,歩き回る).REM睡眠行動異常症はPD/DLB発症の数年前から単独で認められることもあります.
d.認知障害:主に注意・実行機能障害・視空間処理能力障害が目立ち,記憶障害はアルツハイマー病よりも軽度である傾向があります.PD/DLBの記憶障害では,記憶の貯蔵(保持)自体の障害よりも注意・実行機能障害に基づく記銘(覚えること)や想起(思い出すこと)の障害の関与が大きいと考えられています.また,意識と認知レベルが大きく変動することが特徴です.
e.その他:身体症状発症から数年~10数年さかのぼる嗅覚低下,嗅覚障害に伴う味覚障害を呈することは少なくありませんが,この点に特化した病歴聴取をしないと発見できません.
⇒ 2018年02月:
パーキンソン病(PD)とレビー小体型認知症(DLB)の共通症状―運動症状
先月のコラムで述べたように,PD(PDD)とDLBには相違点があります,
しかし,両者ともにレビー小体病でありますので多くの共通点を有していることも事実です.各症状を運動症状と非運動症状に分類するとわかりやすいと思います.
今月は運動症状について解説します.
運動症状はPDでは必須でありDLBでも合併することが多い症状です.この運動症状をパーキンソニズム(parkinsonism)と称します.主に安静時振戦(手足を動かさないで置いている時に出現する振るえ),筋強剛(手足を他動的に動かした時に感じる歯車様の抵抗),無動/寡動(体の動きが少ないこと),動作緩慢(動きが遅いこと),姿勢反射障害(バランスが取れないこと)が代表的なものです.PDでは症状の左右差があり振戦が比較的多いのに対して,DLBでは左右差が目立たず振戦が少ない傾向があります.また,運動症状の治療薬であるL-DOPA(レボドパ)はDLBよりもPDで奏功することが多いようです.
参考:パーキンソニズムの定義
1.
厚生労働省 難病情報センター(//www.nanbyou.or.jp)
(1) 左右差のある典型的な安静時振戦(4-6 Hz),または
(2) 歯車様筋強剛,動作緩慢,姿勢反射障害 の2つ以上
2.Movement Disorder Society(Mov Disord. 2015;30:1591-1601
(1) 動作(運動)緩慢,および
(2) 筋強剛,静止時振戦の1つ以上
⇒ 2018年01月:認知症と神経疾患の話題
認知症を伴ったパーキンソン病(PDD)とレビー小体型認知症はどう区別する?
パーキンソン病(PD)症例が認知低下を合併する割合は,横断的に30%,縦断的に80%とされています.PDとして経過している方が認知症を併発してくると,突然病名がパーキンソン病からレビー小体型認知症に変更されるという「誤り」をよく見聞きします.
発症当初はPDでその後認知症を併発した症例は「認知症を伴うパーキンソン病(PDD: Parkinson’s Disease Dementia)」と称し,DLBとは一応区別して考えます.
まず,PDとDLBの診断基準を確認しましょう.
PDは身体症状(振戦,筋強剛,動作緩慢,姿勢反射異常など)が必須であるのに対して,DLBでは初期から進行性の認知機能低下(認知症)があることが必須です.DLBとPDDの病態がきわめて類似していることから,両者の鑑別法は操作的(人為的)に決められています.発症から少なくとも1年間は身体症状のみ呈しその後認知症を発症するものをPDD,一方,認知・精神・感情症状が身体症状に相前後してまたは身体症状発症後1年以内に発症するものをDLBと定義します.これを「1年ルール」と言います.
最近,この「1年ルール」に頼らずにPD/PDD/DLBを再定義しようとする提案が最近なされましたが(International Parkinson and Movement Disorders Society),それに対する反論も呈されており,この件についての論議はまだまだ続きそうです.
⇒ 2017年12月:
パーキンソン病(PD)とレビー小体型認知症(DLB)はどこが違うのでしょうか?
世間でDLB(レビー小体型認知症)が知られてきたことは好ましいことですが,どうも「DLB」と「認知症を伴ったパーキンソン病(PDD)」との混同が激しいようです.
どちらも「レビー小体病」に属しておりその差は少ないのですが,発症してからしばらくの間の臨床経過に根本的な違いがあります.
レビー病変(レビー小体・レビー神経突起)が脳幹にとどまっているものはレビー小体病の脳幹型(brainstem-type)と呼ばれ,これがPD(パーキンソン病)に該当します.
一方,レビー小体病のびまん型(diffuse type)ではレビー病変が脳皮質と脳幹に広く分布しており,このタイプがDLBに相当します. 認知症を伴ったPD(PDD)ではレビー病変が当初脳幹にとどまっていますが,経過とともに大脳皮質と辺縁系に広がっていきます.
一方,レビー小体病にはアルツハイマー病の病理(ベータアミロイド)が合併していることが多いのですが,ベータアミロイドはPDよりもPDD/DLBに多く出現し,さらにDLBではPDDよりもベータアミロイドの出現量がさらに多いと報告されています.
これらの所見は,PD・PDD・DLBが一連のスペクトラムを成すことを示しています.また認知レベルやその内容(記憶障害が強いなど),脳画像所見(海馬萎縮が強いなど)にはアルツハイマー病病理が関与していると言えましょう.
⇒ 2017年11月:レビー小体型認知症についてもう少し詳しく
2017年5月のコラムにてレビー小体型認知症(DLB)については簡単に触れました.重複する部分があろうかと思いますが,ここではDLBを「レビー小体病」の立場から解説したいと思います.
1817年にJames Parkinsonが「振戦麻痺」について著し,後にJean-Martin Charcotが「パーキンソン病(PD)」と命名したことは10月のコラムで述べたとおりです.
その約100年後の1912年,ユダヤ系ドイツ人Friedrich Heinrich Lewy(1885~1950)がPD患者の黒質細胞内に特異的なタンパク沈着を発見しましたが,Lewy 自身はPDにおける黒質病変をあまり重視しなかったようです.PDの黒質におけるこのタンパク沈着の重要性に目を向けたのは,当時パリ大学に在籍していたロシア人のKonstantin Nikolaevich Tretiakoff(1892~1958)でした.彼は1919年の医学博士論文(Tretiakoff K. Paris University, Paris, 1919)の中で,黒質色素細胞内の封入体を記載し,これが1912年にLewyが記載した封入体と同じであるとして,この封入体を”corps de Lewy”(フランス語で “レビー小体” の意味)と命名しました.
しかし.この時点ではまだレビー小体病の概念はありませんでした.その概念の発端となった論文は小阪憲司先生らによる65歳の女性の症例報告でした.この女性では,56歳時に頸部の不随意運動と進行性もの忘れが出現し,記憶障害と不穏状態を主訴に65歳で入院しました.入院時には筋強剛,腱反射亢進,高度認知症,無為が認められました.当症例は腸重積で突然死した後に剖検に付され,大脳皮質の老人斑,神経原線維変化(アルツハイマー病変)に加えて,脳幹には典型的なレビー小体(後の脳幹型レビー小体)が,さらに大脳皮質深層にはレビー小体より淡く染色されるレビー様小体(後の皮質型レビー小体)がびまん性に認められました.この症例がDLBの原点と考えられます.さらに,レビー小体とは,実は我々誰もが体内に持っているアルファ-シヌクレインというタンパク質が変性して凝集した物質であることが判明したのは1990年代後半ですので,レビー小体型認知症は比較的歴史が浅い疾患であるということができましょう.
このようにパーキンソン病とレビー小体型認知症は兄弟のような疾患であり,「レビー小体病」という大きな傘の下にパーキンソン病とレビー小体型認知症が入っているとお考え下さい.
⇒ 2017年10月:パーキンソン病(Parkinson’s disease: PD)とは?
まず歴史から始めましょう.パーキンソン病の名前は,その疾患を最初に記載したイギリスのJames Parkinson(1755-1817)に由来します.彼はその著書 「An Essay on the Shaking Palsy」 の中では「パーキンソン病」とは呼ばず,「振戦麻痺(shaking palsy)」と記載しました.
これは「振るえて力が入りにくくなる」という意味でパーキンソン病の特徴をよく言い表していると思います.
その後,フランスの神経学者 Jean Martin Charcot(シャルコー) が1888年にパーキンソン病と命名し直し本日に至ります.
Charcotは振戦よりもむしろ筋強剛や動作緩慢の側面を強調しました.
Parkinsonは的確な観察力により,「An Essay on the Shaking Palsy」の冒頭で次のように記載しています.” Involuntary tremulous motion with lessened muscular power”(不随意な振戦と筋力低下が), in parts not in action and even when supported(安静状態/支えられている状態の身体部位に出現し),a propensity to bend the trunk forwards(体幹が前屈位を取りやすく),pass from a walking to a running pace(歩いているうちに走り出してしまい),senses and intellects being uninjured(一方,感覚と知能は障害されない).この中で後世に訂正が必要であったものは「知能は障害されない」という部分でした.「An Essay on the Shaking Palsy」は6例の症例報告ですが,驚くべきは6例中何と2例は路上で偶然出あった症例であり,もう1例は単に遠くから見かけた症例なのです.
このようにパーキンソン病は「見ればわかる」疾患なのです.
⇒ 2017年09月:「レビー小体病」とは何ですか?
それでは,「レビー小体病」とは何でしょうか?レビー小体病とは,8月にお話ししたレビー小体と,アルファ-シヌクレインが神経突起内に沈着したもの(レビー神経突起)が体内に蓄積する一連の疾患の総称です.
そのグループ内には,「レビー小体型認知症,パーキンソン病,多系統萎縮症」が含まれます.レビー小体病の特徴はそれが脳だけではなく全身臓器を侵す病であることです.以下,レビー小体とレビー神経突起をまとめてLB病変呼びますが,LB病変は中枢神経系だけではなく,嗅神経,自律神経系,消化器,心筋,皮膚などの全身の組織に蓄積します.レビー小体病の3疾患の違いは,専らどの臓器にLB病変が蓄積するかによって決まるといっても過言ではありません.そのほか,LB病変が体内に蓄積しているがレビー小体病としては発症せず,レム睡眠行動異常症や起立性低血圧などの症状のみを呈する症例もあります.
このような症例が数年後にレビー小体病を発症しやすいことも分かっています.来月以降は,神経内科の領域では頻度が高いパーキンソン病を中心に話を展開したいと思います.
⇒ 2017年08月:「レビー小体」とは何ですか?
「レビー小体型認知症」については2017年5月のコラムでお話をしました.一方,「レビー小体病」という用語をお聞きになったことはないでしょうか?しばらく「レビー小体病」の話をします.まず,そもそも「レビー小体」とは何でしょうか?以下,若干難しい話になりますがご勘弁ください.
「レビー小体」とはアルファ-シヌクレイン(α-Synuclein)というタンパク質が凝集したものをいいます.脊椎動物はそもそもアルファ-シヌクレインを有しています.アルファ-シヌクレインは特に嗅球(嗅覚の神経),前頭葉,線条体(脳深部にあり運動機能を携わる),海馬(記憶中枢)などにおけるドパミン作動ニューロンのシナプス前の神経末端に存在しています.アルファ-シヌクレインはシナプス機能に関連しているのではないかと推測されますが,その働きはまだよくわかっていません.さて,アルファ-シヌクレイン凝集の誘因ですが,アルファ-シヌクレインと関連している神経細胞膜の機能的な不安定性,アルファ-シヌクレイン関連遺伝子の変異,酸化物質によるストレス,異常リン酸化,カルシウムなどの金属イオンの濃度変化などの多因子が複合的に関わっていると推測されています.アルファ-シヌクレインが「神経細胞内に沈着したものをレビー小体(Lewy body)」,「神経細胞突起に沈着したものをレビー神経突起(Lewy neurite)」と称し,両者ともにレビー小体病を特徴づける病理所見です.